土
04
9月
2010
『部下を定時に帰す「仕事術」 「最短距離」で「成果」を出すリーダーの知恵』佐々木 常夫著・WAVE出版
著者は、いわずと知れたワーク・ライフ・バランスのシンボル的存在で、すべての、育児、家事、妻の看病をこなすために、毎日「6時」に退社する必要があり、そのために編み出されたタイムマネジメントの極意の数々が開陳されている。
ハロルド・ジェニーンは、「本は初めから終わりへと読む。ビジネスの経営は終わりから始めてそこへ到達する方策を探る」(『プロフェッショナルマネージャー』)という。つまり、経営者は結果がすべてということで、どういう結果を出したいのかを、考えてから仕事をはじめることが結果につながるという。
あるビジネスコンサルタントの分析によれば、1年で仕事を達成できるつもりの仕事のうち、半分を達成できた人は3割だ、という。つまり、仕事が結果につながっていない。
では、仕事を結果にするのを阻害している要因とは何か? を具体的に洗い出してみると、上司の指示のあいまいさだったり、部下の思い込みを確認しないことが、計画的に仕事をしないための多くのロスになっていることが明らかになる。
長時間労働は「プロ意識」「羞恥心」の欠如といいきり、「時間予算」という考え方を徹底することで解決する。「時間予算」とは、自分が、真に使える時間が30%しかない、という意識で、残された時間の7割は使えないから、そこをいかにやりくりするかを考えてから行動する、ということ。
「ビジネスは予測のゲームである」といい、仕事ができるかできないかは、「能力の差」よりも「仕事のやり方」の差であるという。
その思考は日常生活まで徹底されており、鬱病の妻のカルテをデータ化し、初診の医師でも間違いなく理解できるように常備しているのは驚きを通りこして唖然としたけれど、たとえば、毎日、昼食をとるのは変わらないのに、なぜ、12時に出かけるという愚かなことをするのか? 少し早く行動することで、30~40分の時間を稼げるなら迷わず実行し、効率的に人に伝えようとするなら「口頭」より「文書」のほうが早いなど、のビジネスの基礎から出世の仕方、すなわち、上役との会話は「結論まっしぐら」でいけ、や「いつもきちんと挨拶する」べしにまで及ぶ。
礼儀正さだけで役員になることは可能である、とまでいいきり、その理由は、役員とは会社のリーダーであり、リーダーというのは幼稚園のときに教わったことをきちんとできる人のことだ、とまで、いいきるのは誠にすがすがしい。多分、これは本当のことだと思う。
また、仕事にも「パレートの法則」があるという。
「パレートの法則」は、主として経済学で使われる用語で、「富の8割は2割の人に帰属する」という「8割2割の法則」のこと。これを、「重要な仕事2割をやれば、その人のかかえる仕事の8割が達成できる」というのだ。
効果的な仕事のすすめかたとして、まず仕事の俯瞰図を大きな紙にかく。
大きな紙にかくことで、6~8ページに渡る資料を一望できるようにし、〆切は「間際シンドロームの大損」に備えて少し早めに設定し、終わった仕事をしばらく寝かせて、付加価値をつけられる可能性を検討する。
まさに、「仕事は終わったところから始まる」で、仕事の鬼である。
職種にもよるが、会社の仕事の大半は、同じことの繰り返しである。同じことの繰り返しであるならば、積み重ねられてきた先輩の仕事に、工夫して人よりちょっとだけ優れたことをすれば、それは優れたイノベーションたりうる。つまり、「書庫」にこそ答えがある。優れたイミテーションを積み重ねた先に、優れたイノベーションはうまれてくるというのだ。
どきっとしたのは、批判精神なき読書は有害、という一節で、多読家に仕事のできる人は少ない、という。
核心をついていると思った次第。
木
02
9月
2010
『アマゾン・ドット・コムの光と影 潜入ルポ』横田増生著・情報センター出版局
アマゾン・ドット・コムは、1994年、アメリカの西海岸で、ジェフ・ベゾスが立ち上げた「通販企業」である。通販企業にとっての中核は、物流である。ネット通販の先進国アメリカでは、商品が顧客に届く「最後の1マイル」が企業の優劣をわける、といわれるほど、物流が重視されている。
本書は、物流業界誌の編集長をつとめた著者が、鎌田慧の『自動車絶望工場』ではないけれど、物流センターでアルバイトをしながら、なぜ24時間以内に発送でき、なぜ1500円以上の配送料無料が可能なのかを取材した。
アマゾンのすごさは、純粋に売上である。
リアル書店の売上ランキングは、紀伊国屋と丸善が1000億円を超えてトップを走り、文教堂、有隣堂が400~500億円で二番手集団につけている。
アマゾンは、2003年の時点で、既に500億円を超えており、続く、04年にはすでに1000億近い売上を出して、実は、日本の書店ナンバーワンといってもいい実績をあげている。ただし、アマゾンの決算書は、秘密めいていて、国ごとの売上を公開していないため、あくまで概算にしからないが、1店舗のアンテナショップも持たずして、この数字をたたき出しているのは驚嘆に値する。
本が売れない、とよく耳にするがそれが図らずも、リアル書店の工夫が足りないことを露見させた。書店員には接客というものがほとんど必要ない。あるとしても、それは、その本がどこにあるのか? なければ取寄せでどのくらいの日にちがかかるのか、を答えるだけである。詳しいことを聞いてもわからないし、わからないほど本には種類が多い。
本は、日本で流通しているだけでも50万タイトルあるといわれており、1年間に7万タイトルの新刊本が出版されている。1日平均200タイトル。
少量多品種の王、たるものが本なのである。
その情報すべてを追うのは当然、無理があるし、第一、文房具や日用品のように、代えが聞かないところも本の特質である。
ボールペンは、種類が違っても書けるという機能は同じだが、同じ分野の本はあっても、内容はまったく違う。マンディアルグの本が欲しい人は、マンディアルグ「のような」本が欲しいわけではないのである。
アマゾンがテコ入れしたのは、まさにここである。
べゾスは創業以来、一貫して、顧客を満足させるにはどうすべきかを考え、実行してきた。
べゾスは、”顧客第一主義”を唱えて、ネット上に癖のある「小さな書店」を作ることを目指してきた。それを達成する手段として「マイストア」と「カスタマーレビュー」を生み出し、売上を拡大してきた。顧客がふえればふえるほど、統計とデータによって、趣味趣向に即した商品をすすめてくれるようになり、顧客データの分析は、そのまま正確な需要予測となり、結果として全世界に4000万人の顧客をかかえるほどになる。まさに完成された、といっても過言ではないこのシステムは、べゾスが愚直なまでに”顧客第一主義”を貫き通してきた証左でもある。
べゾスは、
「私たちが注意を払う相手は顧客であって、競争相手ではありません。競争相手をよく観察し、学ぶべきところは学ぶ。また、良いサービスを顧客に提供していれば、自分たちもできるだけそのサービスを採り入れようとする。でも、競争相手を意識するつもりはまったくありません」
といい続けてきた。
在庫回転率は、1999年が6回、続いて、12回、16回、19回、18回と、年をおうごとに伸びている。日本のリアル書店の在庫回転率が5から8回であるのと比較すると、そのすごさが歴然とする。
物流センターに返品されるのは、1万件に1件という、ほとんどゼロに等しい数字。これも、一般的な小売業の感覚からしてもありえない。
佐野 眞一は『だれが「本」を殺すのか』でべゾスにインタビューしており、
「べゾスは本に対する情熱こそアマゾンの生命線と言葉ではいったが、その情熱は残念ながらほとんど伝わってこなかった。それよりも、彼がかつて『オレの売場は全世界二五〇〇万台のパソコンのなかにある』と豪語したエピソードが生々しく甦ってきた」
とその印象を描いている。
アマゾンの物流センターにおいて、アルバイトとは、時給で働くロボットにすぎない。アルバイトが即戦力になる得るようにシステム化されている。つまり、「熟練」が必要ないということでもある。部品として切り捨てられ、必要になれば必要最低限のコストで購入する部品。
本に対する愛もなければ、人を育てようという意志もない。
アマゾンの本当のすごさは、知っている人にまかせる、その徹底したシステムにある。
本に「カスタマーレビュー」がつくと、その商品の売上が約1万円増えるという。本が売れれば売れるほどデータが正確になり、そのデータがまた新たな売上につながる。本来書店員がやるべき仕事を、客にやらせているだけでなく、その言葉には忌憚がないから、購入の決め手にもなりやすい。顧客のためになることならなんでもやる透徹した意思。
リアルの世界と違って、カバーできる範囲に上限もない。まさに鬼に金棒。
水
01
9月
2010
『フランケンシュタインの方程式』梶尾真治著・早川書房
パスティーシュという言葉を使うと、どうしても清水義範を想起してしまうのであまり使いたくないのだが、凄腕のシェフが腕によりをかけた豪華絢爛なパスティーシュSF短編集。
ざっと思いつくだけで、
「宇宙船<仰天>号の冒険」→「宇宙船ビーグル号」
「ノストラダムス病原体」→「アンドロメダ病原体」
「フランケンシュタインの方程式」→「冷たい方程式」
がカバーされている。
トム・ゴドウィンの「冷たい方程式」は、「知の千本ノック」でおなじみの、マイケル・サンデル先生が取り上げてもおかしくないSFの名作中の名作で、致死性の疫病が発生した惑星・ウォードンで待つ6人のために、血清を届ける小型宇宙船の中で起こる密室劇。燃料も酸素も、最小限の量しか積まれていない宇宙船のなかに密航者がいた。船員と血清を待つ6人が助かるためには、密航者をエアロックから真空の船外へ放り出されなければならない。しかし密航者は、疫病で生命の危険にさらされている兄に会う為に軽い気持ちで密航した18歳の少女だった……。「カルネアデスの板」と同様の難題を、大胆に料理。
このSFを面白がる才能は驚異だと思うけれど、あくまでそれは「地球はプレインヨーグルト」の前菜に過ぎなかった、というのが最大の驚き。
「地球はプレインヨーグルト」は、「《味覚》としか呼びようのないものによるコミュニケーションを行なうらしい」宇宙人との通訳のために世界連邦から駆り出された世界各国の伝説のシェフたちと、コンタクト役として鎮座する謎のフィクサー熊根老人が、濃厚なゴルゴンゾーラのニョッキのように絡みあう。
熊根老人は、真の味覚を求道するために、自主的に失明し、咀嚼感からくる味覚誤差を修正するためにすべての歯を抜歯、慢性的蓄膿症すら治さないという、純粋味覚馬鹿。世界連邦大統領すら顎で使う、この老人が最後に求めたのは、宇宙人を通してもたらされるかもしれない「現世最高の味」。世界連邦は、宇宙人とのコンタクトで、宇宙人のテクノロジーを盗もうとしており、宇宙人は宇宙人で、ある目的をもって、地球にやってきていた。
三者の思惑が交錯しながら、それが活気のある厨房を通して語られる、というSF史上かつてない試みは、ジャンルをこえて屹立している。レックス・スタウトにも劣らない絶佳の名作。
本の編集には異論があるが、この一作だけで、この短編集は他の「パスティーシュもの」とは一線を画している。
火
31
8月
2010
映画『渚にて』他
映画『渚にて』スタンリー・クレイマー監督
1959年の白黒映画。原題は「ON THE BEACH」
核戦争のあと、生き残った人類は世界にふりそそいだ放射能のため、オーストラリアにしか生きられなくなり、その人類最後の土地も、あと五ヶ月で放射能がやってきて、人類は滅亡する。
THERE IS STILL TIME...BROTHER
という横断幕の前に集まる人々は、圧倒的な絶望のもとに一人一人死んでいく。そんなとき、完全に死に絶えたと思われていたサンディエゴから生存者と思われる信号を受信する。
まだ、人類には生存できる場所があるのか。
それを確かめに、潜水艦「623」号に乗り込んで、往復2万キロの旅にでる。
題は、主人公夫婦が一番初めに出会った、ビーチのこと。
幸福な記憶と、閉ざされた未来。絶望という言葉を、言葉の真の意味で、観ることができる名作。「ソイレント・グリーン」といい、白黒映画の完成度に脱帽。
映画『レインマン』
映画をみながらとったメモが読めないという事態に……。
破産寸前の狷介な中古車のディーラー、トム・クルーズのもとに父の訃報が届く。反目しあっていた二人に連絡はなく、遺産の相続で、ひょうんなことから自分にサヴァンの兄がいたことが発覚する。はじめトム・クルーズは兄に贈与された遺産を搾取すべく、兄を誘拐するが、普通のコミュニケーションができない兄と、無意識下に眠っていた記憶が、レインマンの歌でよみがえってくる。家族の物語にありがちなアットホームな展開にはならず、二人は、ラスヴェガスに乗り込んで、一攫千金をねらう。
映画『ふたり』大林宣彦監督
同上。
メモが読めないというのは、本当に哀しい。赤川次郎原作。最後のインタビューにちょっといいコメントが収録されているが、読めない。
映画『カールじいさんの空飛ぶ家』
『6号棟』の岡本氏推薦。
15分で泣けるといわれたのに、10分も持たずに落涙。
最近とみに涙腺が脆弱になっているせいか、情け無い。
物語のはじまりの10分間が特に秀逸。紙芝居をめくるように、カールとエリー夫妻の、出会いから別れまで、人生の決定的な場面を描いている。
久々にディズニーをバカにせずにすみました。
単なる馬鹿犬の愛らしさを超越した犬が良い。
日
22
8月
2010
『オシムの言葉』木村元彦著・集英社文庫
サッカーをモチーフに、自分の哲学を語り、プレーや試合についての言及が、時に人生の真理をつく。朝日新聞のオシム監督の連載を読んでいたら、目が離せなくなり、あわててバックナンバーを探しに図書館に走った。
スポーツの記事で、結果よりも面白いと思った文章は他にない。
魅力的な言葉を以下に抜書きしてみよう。
アイデア
「アイデアのない人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない。」
ベテラン
「ベテランとは第二次世界大戦の頃にプレーしていた選手」
攻め
「サッカーとは危険を冒さないといけないスポーツ。それがなければ例えば、塩とコショウのないスープになってしまう」
コーチ学のライセンス受講中に
「教師がこういうメニューがある、と黒板に書いた段階ですでに過去のものになっている」
攻めることの難しさについて
「家を建てるのは難しいが、崩すのは一瞬」
大嫌いな日本語
「私には、日本人の選手やコーチたちがよく使う言葉で嫌いなものが二つあります。『しょうがない』と『切り換え、切り換え』です。それで全部を誤魔化すことができてしまう。『しょうがない』と言う言葉は、ドイツ語にもないと思うんです。『どうにもできない』はあっても、『しょうがない』はありません。」
ユダヤ人の諺
「ユダヤ人が結束が固いのを知っているだろう? 彼らには『2回までは助けろよ』という諺があって、3回目は助けない。」
言葉
「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している。このメディアは正しい質問をしているのか。……新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある」
戦争
「人々は私の話になれば、良かったね、素晴らしいと美談にしてしまう。しかし、そんなものではない」
「確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響を受けていないと言ったほうがいいだろう」
「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」
専攻
「専攻は数学。これはサッカーの役に立っていると思う。ロジカルに考える習慣がついた。誰を誰のマークに行かせるか考えて、足したり、引いたりする。それでも最後は11人。」
パルチザン・ベオグラードの要職にあるコバチェビッチはオシムについて、「例えばオシムとウィスキーを酌み交わしたとしよう。朝まで話題はサッカーだけだ。シュワーボの頭の中にはサッカーしかないのだ」という。
イビツァ・オシムは、1959年、サラエボのジェレズニチャル入団をかわきりに、その現役生活12年間で85得点をあげた。特筆すべきはその間、イエローカードを一枚も提示されていないことであろう。サッカーに熱中していたころ、親に買ってもらったゲーリー・リネカーの本にも、同じことが書いてあったが、寡聞にして他に知らない。
オシムの『リスクを冒す哲学』は、オシムの生き方と密接にかかわりあっている。
「私の人生そのものがリスクを冒すスタイルだったんです。前も話しましたが、プロとしてプレーする時も、最初は大学で数学を専攻していて、数学の教授にもなれたし医学の道にも行けた。でも、自分がサッカー選手として、この先やっていけるかどうか分からない状態でも、私はリスクを背負ってサッカーの世界へと飛び込んだ。だから、私はサッカー人としてリスクを背負っている。これはあくまでプライベートな私のリスクですが」
また、オシムは、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、ふたつの文字を内包したモザイク国家、ユーゴスラビアの分裂を全身で受け止めた最後の代表監督でもあった。
「彼らは真剣に心配していた。『(代表に)行けば、(味方から)自分の村に爆弾が落とされる』。そんな状態の時に『来い!』と言えるはずがない。」
「そこまでして、代表のために人を呼べるほど私は教育のある人間ではない」
その苦悩が、どういうことか推し量ることのできる人間はいない。
それゆえに選手に対する愛情も深い。
オシムが、ジェフの監督に就任し、キャンプ場にやってきたとき、選手との初顔合わせで、通例どおり、所信表明をもとめられると、右手を軽くふって断った。
スタッフを尻目に、選手のテーブルに近づくと、裏返した拳でひとりひとりの食卓をコンコンと二回ずつノックしてまわった。
一周すると、自席について、食事をはじめた。
みんなポカンとしていたが、それは選手達が怪我をしないようにとの、祖国に伝わる厄除けのテーブルノックだった。
「君たちはプロだ。休むのは引退してからで十分だ」
「レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。私は、選手に『走って、走って、走れ』と言っている」
部活動も真っ青な情熱と、プロとしての思考。
ここからジェフの快進撃がはじまる。
土
14
8月
2010
グラフィック・デザイナー 幡野元朗
「歩行くん」の作者でもある、幡野氏にお願いしていた名刺が完成した。こんな素敵な名刺はみたことがない。さすが幡野デザイン。いつも依頼したデザインの半歩期待をこえてくれるのがたまらなくうれしい。紙は予算の関係で、ちと薄いが、いつかお目にかけます。お楽しみに。
火
10
8月
2010
『海の変化』丹羽正著・創藝社
丹羽正は、小川国夫と同人雑誌『青銅時代』を創刊した純文学作家。思春期特有の、夢や理想が破綻する過程を、独白と風景で描いている。
『海の変化』は短編集で、四編がおさめられている。
夜にみた夢からはじまる「海の変化」は、
《自分ハ、カクテル・ドレスカ何カヲ着テ、デパートノ飾窓ニ陳列サレテイル人形ノヨウニ、真空ノ硝子箱ノ中ニ入ッテイルノガ一番フサワシイ人間カモシレナイ。ソシテ、ソレハ或ル意味デ、自分ガ心ノ奥デ願ッテイルコトダ》
と感じている、典子の視点から語られている。
典子は「十七で成長が止った方がいい」と考えている、「役に立つことは何も出来ない」典型的な箱入娘で、醜さを何よりも嫌い、《性ヲ感ジサセナイモノガ本統ニ美シイノダ》と信じている。また、
《本統ニ生々トシタ人ハ、自分ナンカニ欺カレハシナイノダ》
という典子の独白が表象しているように、丹羽が作品を通じて抽出しようとしているのは、現実世界との決定的な距離感である。
典子の影として描かれる、醜い現実としての表象でもある、いわくありげな親戚の子、敏雄は、跛ではあるが買出し、掃除、料理と一通りのことはてきぱきと小器用にこなすことができるが、典子とは決定的な距離があり、同じバスにのっても「敏雄は、典子の横に坐るのを憚って、四つ前の座席」にいる。
この距離感は、そのまま、典子と醜い現実との距離であり、朝食の席での祖母の言葉、けんさんという乞食とすれちがったときのこと、河に投げ込まれた裸の少女、百貨店でみたマネキン、学校の先輩だった夏子の弟のエーゲ海の島での写真、自分の手をつついた黒い鶏、など一日の出来事と自分自身の間がずれていることを違和感として描いている。
その他の短編も、やはり、現実と距離のある日陰者の視点から語られており、「子供の領分」では、お祭りで今までほんの脇役にもしてもらえなかった少年・敏坊が、ふとした拍子に、お祭りに参加できる「赤い法被」をかりられることになる。
ただし、赤い法被は男用ではなく、女が着るもので、正式に参加できるわけではないのだが、偶然、親戚の少女、雅子が、山車の主役に抜擢され、自分も雅子と同じ、主役になれると錯覚してしまう。妄想がいきすぎて、夢と現実があべこべになりはじめ、
「自分の成り度いものになれない筈はないという考えが、又、頭の片隅で閃めいた。夢ではいつもそうだった。夜の祭は彼には夢と同じようなものだ。」
と、本来脇役にもなれない現実を忘れて、周囲の制止をふりきって、山車にのりこもうとするが、ロックアウトされ、目の前でバラ色に輝いていた夢の世界が、醜い現実の前で、バラバラにくだけちる。
「夏の贈物」でも、「人より、自分には生きる力が乏しいのではないかという予感」をもった少年が主人公で、「完全な自己充足の表象である」友人、滝に、やわらかく拒絶される階梯を描いている。
作家として無名におわった丹羽正の眼前にそびえたっていたのは、抗い難い、現実の壁だったのだろうか?
この一冊は、古本屋店主であられる、Paradis(パラディ)岩崎さんのご好意で読むことができました。ありがとう存じます。
日
08
8月
2010
『別冊 図書館戦争Ⅱ』有川浩著・アスキー・メディアワークス
緒方副隊長の知られざる過去の転向の物語が語られる。
常に、背中合わせの二人だった柴崎と手塚がなんと結婚する。
ストーカー事件にまきこまれ、監禁され、あわや、というときに駆けつけるのは、いつも白馬にのった王子様である。
物語の終わりというのは、いつも充足感と一抹のさみしさがある。
日
08
8月
2010
『別冊 図書館戦争Ⅰ』有川浩著・アスキー・メディアワークス
最後の事件のあとの、堂上と笠原郁の物語。
初体験から結婚までを赤裸々に開陳。
木島シンという、良化法の指定した言葉の中でどこまで人を不愉快にさせる差別的・反社会的表現ができるかというチャレンジャーな作家が登場する。
著者に言葉に、読んでも読まなくても本編とはまったく関係がないという言葉があるが、まったくその通りで、ただこの物語の世界にはまってしまったひとにはたまらないに違いない。
土
07
8月
2010
『図書館革命』有川浩著・メディアワークス
四部作、怒涛の最終巻。
とんでもなく甘い。
新しい時代に突入した図書隊に新しい事件がふりかかる。一見なんのかかわりもないような、テレビのニュースだった大規模・原発襲撃事件のテロリストが、参考文献に、作家の当麻蔵人『原発危機』をあげたことから、事態が一片する。
「対テロ特措法」により、テロリストの教科書になり得るほどの危険な書籍と、それを書ける人物にこれ以上自由に書かせるわけにはいかない、という極端な解釈から、作家狩りがはじまった。
全力で、当麻蔵人をサポートすることを決めた図書隊は、「踊る大捜査線」も真っ青な展開に突入うする。
勇退した稲嶺司令も大活躍で、中島らもの『酒気帯び車椅子』的仕込み車椅子で登場する。
豪華絢爛なだけでなく、当麻蔵人の世界観、
「場合によっては悪意よりも善意のほうが恐ろしいことがあります。悪意を持っている人は何かを損なう意志を明確に自覚している。しかし一部の『善意の人々』は自分が何かを損なう可能性を自覚していない」
もいい。
土
07
8月
2010
『図書館危機』有川浩著・メディアワークス
『図書館戦争』第三弾。
「初代クマ殺し」堂上と、その二代目暴れ馬にして、170cm級戦闘職種大女、笠原のラブコメは終わらない。
三作目のテーマは、「検閲」。
図書館司書講座の教科書になりそうな献立だが、「世相社」の雑誌記者である折口が、カリスマ俳優、香坂大地にインタビューをし、特集本を出す予定だったが、香坂の実家の職業「床屋」がメディア良化委員会から違反語とされていることから、この用語をめぐって、メディアを巻き込んで意見が対立。法廷闘争に発展する。
今回の主役は、喧嘩中年の玄田と、その元・恋人、折口で、瀕死の重傷をおった玄田を折口が見舞う。折口は涙がとまらなくなって、ぽろぽろと涙を流すと、玄田が
「勘弁しろ。お前に泣かれるのは苦手だ」
「無茶した罰だと思って見てなさい」
という。
「これしきのことでくたばるか、バカ」
「普通死ぬわよ、バカ」
など痴話げんかの真骨頂とでもいうべき、言葉のラリーで甘い台詞をかわしつつ、一拍間をおいて、殺し文句がとんでくる。
「還暦過ぎたら籍でも入れるか」
「前提として生きててもらわないと困るのよ」
やはり、甘い。
しかし、もっと甘いのは、やはり、主人公二人組みの堂上と笠原で、
「私は堂上教官の伝令ですから。どんな光景も最後まで一緒に見ます」
など、月9も真っ青な、殺し文句は健在。
また、今回で、稲嶺司令が勇退してしまう。殉職した稲嶺司令の奥様が大好きだった花「カミツレ」、カモミール(花言葉は、「苦難の中の力」)の由来が明らかにされる。
土
07
8月
2010
『図書館内乱』有川浩著・メディアワークス
『図書館戦争』第二弾。
相変わらず、殺し文句の使い方がうまい。
純情一路の熱血バカ、笠原が、怒れるチビ、堂上に寄せる思いを
「あんたの部下であることがあたしの誇りなのに。」
とつぶやけば、情報屋のクールビューティー、柴崎麻子が同僚に嫉妬まじりに追い詰められた時、空気を読まずに真っ向から友達をかばう、笠原に抱く思いを
「……ああ、だから。
だからあたしあんたが大好きよ、笠原。」
とツイートするのを忘れない。
キラーチューンを聞きたい時にねじこんでくるのは天性の才能か。
「万引きの汚名を着てまでこの本を守ろうとしたのは君だ。
その言葉が運命だった。心も将来も鷲摑みにされた。」
と、物語が殺し文句を軸に生成されていく。
今回の主役は、当りは柔らかいが正論を貫くことでは誰よりも融通が利かない小牧。
近所の少女、毬江が、少女から女にかわる、まさにそのとき、突発性の難聴に苦しめられる。そんなとき、図書館司書でも小牧が差し出した一冊が、『レインツリーの国』。二人の間をつなぐ、大事な一冊の本が、まさにその図書館の「図書館員の一刀両断レビュー」というブログで、
「一言で言って薄っぺらい。身障者をダシにお涙頂戴を狙う思惑が鼻について怒りさえ覚える。キャラクターも人間としての厚みがまったくなく、感情移入できない。デビューしてから今まで読んできたが、今作で見切った。はっきり言ってこれがこの作者の限界。こんなものは小説ではなく自分の願望を投影した妄想だ。この力量ではここから一皮剥けるのも難しいだろう。
恋愛おままごと的道行きを飲み込める人ならそれなりに楽しめるかも? まあこれはあくまで個人的意見ということにしておくが、買う価値はまったくない。無駄金を使わないためにもぜひ当館で借りて読むことをお勧めする。」
と炎上してしまう。辛口の書評は人気を博し、物議をかもすが、同僚である、堂上の
「図書館は引き算の理屈で運営するもんじゃない。本の批評は価値を論じる点において引き算の要素を含まざるを得ないし、それは公共サービスの理念とは馴染まない。違うか?」
という問いかけから「図書館員の一刀両断レビュー」とそれを包含する集団に対して宣戦布告をする。
金
06
8月
2010
『黄昏の岸 暁の天』小野不由美著・講談社文庫
登極から半年後の戴の物語。
驍宗が反乱鎮圧のために赴いたまま、謀略にまきこまれて行方不明となり、麒麟の泰麒は何者かに襲われ、麒麟としてもっとも大切な、角を失い「鳴蝕」を起して蓬莱に流されてしまう。
戴には偽王がたち、妖魔が跋扈。行く末を案じた将軍・李斎が片腕を失いながら、命からがら景国に助けを求めてやってくる。
本編の中心にすえられているのは、世界を天帝がつくったのだとしたら、ではどうして、貧富の差、環境の差がうまれたのだろうか? という、おそらくは作家自身の、世界への疑問。
戴の国の将軍・李斎は、
「世界は天帝がお作りになったのではないのですか。ならばなぜ、天帝は戴のような国をお作りになったのです。あれほど無慈悲な冬のある--私が天帝なら、せめて気候だけでも恵まれた国を作ります。冬に凍ることも夏に乾くこともない、そういう世界を」
と問う。
そもそも天は民の人柄を見比べ、最も王に適する者に天命を授ける、という。ならば、実在する天が王座を定めるのならば、なぜ天は王を守らないのか。
李斎との景王・陽子の問答を通して、
「もしも天があるなら、、それは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、必ず過ちを犯すだろう」
という、自身の王としての経験に裏付けられた言葉にたどりつく。
「人は自らを救うしかない、ということなんだ-ー李斎」
と。
二人の問答の果てに、実在の真の神の一人、西王母、が登場して、物語は大きく動き出す。
木
22
7月
2010
『SFはこれを読め!』谷岡一郎著・ちくまプリマー新書
この手の本は、つまりブックガイドは、あれがあり、これがない、ということが多い。ベーシックなものをおさえれば、当然、最新の流行から外れ、最新の流行を追えば、あの名作は? との指摘をまぬがれない。
ちょっと読んでみたいなと思ったのは、喰わず嫌いをしていた、梶尾真治とテッド・チャン。
カジシンは、「味覚」でコミュニケーションをとる宇宙人がやってくるというドタバタSF、「地球はプレイン・ヨーグルト」が紹介されている。
この宇宙人は、肌から分泌する「言葉」で意志の疎通をとる。ゆえに、彼らと話をするには、まず相手の肌をなめ、そして、それに返事をするために料理をつくる、という設定で物語がすすんでいく。
たとえば、
「事故」=塩っぽい味
「ごめん」=さくらんぼ酒
「感謝びっくり」=ブルーベリージャム
「我々」=焼酎と氷砂糖で作って二ヶ月経った味
なんだそうな。
ちなみに、表題にあるとおり、
「地球」=プレインヨーグルト
ちょっと面白そうじゃありませんか?
火
13
7月
2010
『製鉄天使』桜庭一樹著・東京創元社
親愛なるイビチャ・オシムに習っていえば、「残念だったといわなければならないのが残念だ。」
桜庭一樹の読者としては、『赤朽葉家の伝説』を書いた本人が何故、自身の作品をライトノベル化するような書き直しに出たのか理解できない。
60年に一度やってくる干支、丙午(ひのえうま)の女は気性が荒く、天地を揺るがすとされる。
中国地方を制圧した暴走族・製鉄天使をひきい、またその物語を少女漫画家として書き残した万葉の長女・「毛毬」の名前を「小豆」にかえて、会話文を小学生用に書き直しただけの小説。リメイクですらない。
唯一目にとまったのは、巻末にある東京創元社の広告、アンドルー・クルミーの『ミスター・ミー』のあらすじ。
