『自分のなかに歴史をよむ』阿部謹也著・ちくま文庫

『「世間論」序説』で、「世間」は万葉集の時代からある古い言葉で、それに対応するような形でうまれた「社会」は明治維新のころの翻訳語であることをみた。言葉の来歴だけでなく、その内奥(ないおう)、すなわち、「世間」が社会を内側からみた言葉とすれば、「社会」が外側から見た表現であることを明らかにした。つまり、日本には「社会」という言葉は存在するものの、それに対応する現実は「世間」でしかないのだと。 

金銭と違って、たとえばマッチ一本の貸し借り、通りすがりの人に火を貸してくれませんかといえば、たいていは気軽に貸してくれる。お金は返す約束をしない限り、貸してもらうことはできない。お金はダメで、ではなぜマッチならよいのか? 

本書は、アベキンのいわゆる入門本。ありふれた物事の奥に眠る、「?」と疑問を、自伝形式の語りを使って、学問の来歴をたどりながら、新しい社会史を説き起こしてゆく。

幼いころに父親を失った阿部謹也は、中学生のころに一家は四散し、カトリックの修道院にあずけられていた。そのころの経験が、彼をヨーロッパ中世史に目を向けさせ、アパートで妹たちと暮すようになると、妹たちの朝食を用意することができるか、できないかで眠れない日を過ごした。その意味で、聖書の「あすのことを思いわずらうな。あすのことはあす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労はその日一日だけで十分である」という言葉は何の慰めにもならなかった。

阿部謹也にとって、「生きてゆくということはいかに食べるか」であった。歴史学の泰斗・上原専禄に師事し、「どんな問題をやるにせよ、それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探すのですね」といわれて、夜の公園のベンチで横になって考えるも、一向に答えは出なかった。逆に、何ひとつ書物を読まず、何も考えずに生きてゆけるか、と問いを発してみると、その答えは容易にでた。

それはできない。

時間意識の問題、贈与・互酬の関係、特定の職業における賎視(蔑視とは違って恐れの気持ちを含む)の問題、メルヘンの謎など、阿部謹也の仕事を通覧するだけでなく、その根底をも明らかにした、内容のある一冊。

 

『ハーメルンの笛吹き男』阿部謹也著・ちくま文庫

西ドイツの古文書館で、14、15世紀の古文書、古写本の分析に没頭していた阿部謹也の目に、だしぬけに「鼠捕り男」という言葉がとびこんできた。

頁をめくると、クルケンの村にあるジュルグンケンの水車小屋を舞台に鼠捕り男の伝説が残されているという。ある男が粉ひきのところに住み込みで働かせて欲しいと頼むが、冷淡にあしらわれたので鼠を小屋中にあふれんばかりに送り込んだ。粉ひきが泣かんばかりに謝ったので男は鼠を湖に導き溺れさせた、という。

ここまで読んで、阿部謹也の背筋に、何か電気のようなものが走る。「鼠捕り男」すなわち、「ハーメルンの笛吹き男」とは、小学生のときに読んだ、まだらの服を着た、あの御伽噺の男ではないのか、と。

哲学者のライプニッツが「この伝説には何か真実がかくされている」といったように、この魅力的な物語にはあまたの人間がみせられ、伝説と化してのち四百年の間に、27近くにも分類できる説がうまれた。

阿部謹也はいちいち、事細かにそれらを検証し、実際にハーメルンを訪れ、研究しながら、ハーメルンの笛吹き男を産んだ中世の世界を鮮やかに描き出す。

「伝説は本来農民の歴史叙述である」(ゲオルク・グラーバー)というように、伝説とは本来、庶民の、自分たちの歴史そのものであり、その限りで事実から出発している。その点でメルヘンとは質を異にしており、単なる歴史的事実にすぎなかった出来事がいつしか伝説へと転化し、そして、伝説に転化したとき、はじめの事実はそれを伝説として伝える庶民の思考世界の枠のなかにしっかりととらえれて位置づけされ、この過程を通じてひとつのパターンのなかに鋳込まれていくのである。この意味で、伝説は時代とともに変貌をかさね、この思考世界の次元の変遷をたどり、最初の事実に遭遇できたならば、その伝説がはじめて解明されたといえるのかもしれない。

しかし、それがいかに困難なのかは、そうした伝説が庶民、すなわち記述されることのない物語であることを考えれば明らかである。

「貧民が死ぬと、(その人間についての)すべては一緒に消えてしまう。生涯が暗かったように、死後も忘却のように暗い」のである。いつの時代も、財産と伝記を残すのは、権力者だ。

こうした状況のなかで、伝説の変貌をたどる方法はひとつしかない。

すなわち、「こうした様々な議論や争いのなかでの伝説の変貌を、その背後に渦巻いている様々な人間の動きとにらみ合せながら位置づけてゆく」こと。

阿部謹也が西洋中世史という、およそ一般の日本人にとって親しみのない分野をきりひらいたのは、ひとえに、「われわれは中世政治史や文化史のロマネスクやゴシックの建築に象徴される華麗な叙述の背後に、痩せさらばえ、虚ろな顔をして死にかけた乳児を抱いて、足をひきずるように歩いていた無言の群集を常にみすえていなければならないのである。」という、あくまでも、ひたむきな無言の群集の言葉に耳を傾けたことと、見事な着想による。

決して読みやすいとは言えない、濃厚な記述に手がとまらないのは、推理小説を読むような、スリリングな展開のせいである。 

『「世間」論序説 西洋中世の愛と人格』阿部謹也著・朝日新聞社

日本の学問には奇妙な特徴があって、それは、日常用語と、学問や論壇における表現の仕方とが、根本的に異なっており、しかもそのことに多くの知識人が目をおおっているという事実である。

たとえば「社会」という言葉を例にすると、義務教育を終えたものであれば、おそらく「社会」という言葉を知らないひとはいない。しかし、この言葉は、専門家や学者、ジャーナリスト、知識人をのぞけば日常用語として使われていない。それにかわるものとして使われている言葉が、『万葉集』や『源氏物語』以来使われている「世間」や「世の中」。

本書の問いかけは、まず、こうした言葉のずれがどうして起こり、そのずれが一体何を生んだのか? を学問的に考証していくことからはじまる。

 

まず、わが国には「社会」と「世間」というふたつの用語の世界がある。

「社会」は、いわば、近代的な用語の世界であり、貨幣経済を軸とする表向きの構造をもっている。それに対し、「世間」は主として、対人関係の中にあり、そこでは貨幣経済ではなく、贈与・互酬(ごしゅう)の原則が主たる構造をなしている。

 

どうしてこういうパラレルな世界観が同じような言葉のなかに並存しているのかを考えて見ると、日本人の個人と社会(世間)の有り方が、概念の輸入元である、ヨーロッパのそれとかなり異なっているからである。

欧米における個人のあり方についての例として、少し長いが、カントをひくと、

 

軍人が上官から命令を受けたばあい、その命令が適切か否かを論議しようとするならば困った事態になるであろう。軍人は上官の命令には従わなければならないからである。しかし彼が軍務を離れて上官の命令の適否を論じ、公衆一般の批判に委ねることを禁ずるのは不当である。軍人が上官の命令に服するのは、彼の理性を私的に使用したばあいであり、上官の命令を批判する自由は、まさに彼の理性の公的な使用によるものだからだ。

 

日本では、まず間違いなく、この関係は逆転する。

たとえば、会社におきかえてみれば、これは簡単で、内部の不正を公的な場で暴こうとすれば、それには職を賭す覚悟が必要になるのは明白だ。

雑駁ではあるけれど、公と私の関係が、ヨーロッパと日本では逆転している。ではなぜ、この関係が逆転しているのか?

その根源が、日本人の行動の背後にある、聖と俗の関係にある。

西欧は、十二、三世紀を境にして、聖と俗との分離がおこり、自然世界との呪術関係を断ち切ること(たとえば、告解のマニュアルである贖罪規定書によれば、占いをすること、吉日に結婚することなどが罪とされる)によって、西欧における個人は成立している。

他方で、わが国は、聖なるものが世俗社会のなかで、求心的な力をもつことがなかった反面、呪術や迷信のような形で日常生活のあらゆる分野に浸透している。そのため、わたしたちは、鎌倉時代の「参籠起請(さんろうきしょう)」に代表されるような神判とはっきり絶縁していない。わたしたちは、西欧風の個人として生きているつもりになっても、周囲の人々の運命や自然の出来事と無関係には生きられない。建前のときには吉日を選び、結婚式には大安を選ぶ。葬式には友引の日をさけ、親族に死者がでれば賀状をひかえる。

わが国においては、個人の責任が個人でおわらず、同じ世間につらなるほかの人々や、他のモノと不可分の関係におかれている。こうした古代以来のケガレの意識が、形をかえながら、今日まで生き残っている「世間」を呪術的なものがいきる世界観としてとらえ、社会を合理的なものとしてとらえることで、人間関係の基本線を明確にしている。

これで序論というのがすごい。

あまりに面白かったので、他の著作をまとめて買う。

『対談 文学の戦後』鮎川信夫・吉本隆明 講談社文芸文庫

文学にとっての戦後とは何か? を松原新一とか磯田光一とか秋山駿とか、をひとくくりに「ぼくらよりはずっと若い」とひとくくりにできる、戦中派の巨人、「荒地」の鮎川信夫と吉本隆明が、1979年に語った一冊。

鮎川が、敗戦直後のなまなましい実感は、野間や椎名、埴谷の近代文学派よりも、坂口安吾、織田作之助、田中英光、太宰治の無頼派にあるといえば、吉本隆明は、まず戦後を、

 

「戦争に負けたということで、短い期間ですけれども、出現した、妙な、どういったらいいのか、具体的にいうと、簡単にわかっちゃうんですけれども、ぼくは学生の途中でしたから、一瞬、あと卒業するまで一年とか一年半だけれども、学校というのはまだあるのかなとか、たとえばあした食糧がないということについて、政府は何も指示してくれないから、自分の家で工夫して買い出しに行って買ってきて、食べるよりしようがないとか、だれもあした何があるんだ、どうなるんだということはわからない、みたいな体験というのが、つかの間、厳密にいうと、きっと半年とか一年とか、短い期間だったと思うんですが、あったような気がするんです。(中略)いままでだったら、政府があって、官庁があって、隣組があって、指示してくれた、そういう系列が全部なくなった」

 

と定義してから、

 

「その初めての一種の閃光みたいな、きらめききらめきみたいなものの自由さというのか、心細さというのか、不安というのかわかりませんが、それを表現し得ているのは、やっぱり第一次戦後派の初期のような気がするんです。埴谷雄高さんの「死霊」の初めのところとか、野間宏の「暗い絵」「崩壊感覚」「顔の中の赤い月」、椎名麟三の「永遠なる序章」みたいな、下手くそなくせにわけのわからぬみたいな、いままでなかったみたいな、ああいうものはぼくはそのときだけのような気がするんです」

 

という。

鮎川が、村上龍や土居良一の作品を、風俗としての「言葉だけ」だといい、体験に裏打ちされたものがないと批判するあたりは、ご愛嬌として、吉本隆明が、現代の作家を批評した雑感は傾聴に値する。

 

「若い人の作品読んでいて、ぼくは詩の傾向と同じだなという感じをもちました。五味康祐の芥川賞もらった「喪神」という作品があります。あの剣術使いは、相手が打ち込んでくれば、必ず反射神経で勝つんだけれども、最後に間違えて、自分の方から打ち込んで斬られちゃう。いまの若い人の小説は、そういう気がして、何か受け身である限りは、文学として成立しているんだけれども、一たん自己主張みたいなふうに、これだよと主張したら一巻の終わり、どうにもならないよというふうな、そういう感じ受けますね。」

 

それだけではなく、自身で編集していた「試行」の20年をふりかえって、潜在的にかかえていた問題についても触れていて、

 

「多少でも反社会的な反時代的なとかんがえた雑誌とか文学運動みたいなものが初め、若いうちは一生懸命なんだけれども、そういう人が「群像」みたいなところの編集者から、これはいい小説書くとか、いい批評書くみたいなことで目をつけられて「『群像』に書け」といわれる。「群像」に書いているうちにそっちの方が忙しくなって、ひとりでにもとの雑誌ではやれなくなっちゃうということがありますね。

従来の形態ですと、そうなると今度はまたより若いのが出てきまして、あのやろうはけしからぬ、あれは思想的に堕落した。あいつは商業ジャーナリズムになっちゃったじゃないか、というふうになる」

 

しかし、それでも前にすすむしかないのである。

問題は、そこからいかに、かえってこれるかなのだが、この問題は未解決のまま、順繰り順繰り、繰り返され、「試行」は休刊した。

『弥勒の掌』我孫子武丸著・文春文庫

大阪梅田本店のブックファーストをのぞいたら、とんでもない棚があった。それが本書の棚で、一冊一冊に、店員がつくったと思しき、

「予測不可能な驚天動地の結末。あなたも絶対にだまされる……(大意)」

という推薦文つきの黒い帯がまいてあったんである。

何十冊も!

この帯の背景には、まず本を読んで感動した書店員がいて、それを後ろから温かい目で見守っている店長がいたはずである、きっと。勝手な想像で恐縮だけれども、こういう夜鍋的情熱は看過できない。

たまたま一緒にいた「6号棟」同人の圭くんに聞いて見ると、やはり知っていたらしく随分前からあるよ、と教えてもらう。

奥付は、2005年4月単行本。

本書は、綾辻行人、法月綸太郎とならんで、京大新本格の一人、我孫子武丸の本格捜査小説である。
教え子に手を出して以来、家庭内別居状態が続いていた高校教師・辻と、愛する妻を殺され、汚職の疑いをかけられているベテラン刑事の蛯原の二人が主人公格で、二人の物語が交差しながらも物語が加速する。
辻は家庭内別居だった妻が失踪して保険金殺人の疑惑をかけられて途方にくれ、蛯原の愛した妻はある宗教団体にどっぷりはまっていた。
それぞれまきこまれた事件の先に、ある宗教団体の影があり、二人はひょんなことから「救いの御手」にそれぞれ別個にいきあたる。
「救いの御手」は、阪神大震災の前日に兜率天(とそつてん)から人間の世に下生(げしょう)したという、弥勒を中心とした新興宗教団体で、調べれば調べるほど、怪しい事件が浮き彫りになってくる。やり手のルポライターの力をかりて、事件の全容をつかみかかった矢先に、急転直下の展開をむかえる。
あらすじを書けば、多分こんな感じだと思います。
確かに「だまされ」ることには間違いはないが、しかしなあ、という気がしないでもない。
欲を言えば、伏線が単線すぎる。もっとだましてほしかった!
無念である。が、また、梅田本店のブックファーストにいってみよう。今度は何に帯をまいてくるか。愉しみが増えた。

 

『開放系デザイン、技術ノートⅠ キルティプールの丘にて 我生きむ アニミズム周辺紀行5』石山修武著・絶版書房

建築家・石山修武の手作り雑誌、『アニミズム周辺紀行』の第五弾。

石山さんの創作の根源にある「アニミズム」という概念を精力的に、フィールドワークをまじえながら丹念に掘り下げていくシリーズ。毎号、スタイルが違い、雑誌というよりかは、もはや作品で、一冊一冊に石山さん直筆の絵が描いてある。

第五号が圧倒的に強烈なのは、読者の予想を完全に裏切って、この一冊が「文学」であることではないか。

まさか小説とは思いもよらなかった。

厳密には小説ではないのかもしれないけれど、描かれているのは、2025年のキルティプールで、キルティプールはネパールの古都である。81歳になった石山さんは、一人キルティプールの丘に終の棲家をかまえている。その経緯はまったく明らかにされていないのだが、

 

「終の棲家をここに決めようと考えたのは、四○年程昔に家族とカトマンドゥを訪ねた時にマナン族経営のゲストロッジで食べたホウレン草の実に香ばしい自然な香りと味に驚いたという事もあるのだろう」

 

あるときにふと思いたたれたのかもしれない。

東の窓を正方形にくりぬき、正確に三メートル×三メートルの寸法と形に固執した、真四角な部屋にひとりで住んでいるのだ。墓陵を思わせるような、この灰黒い家には、二本の風車塔がついていて、風力発電をしている。

寝台のヘッドボードには、計器がついていて、いまどれぐらいの電力が供給されているのかが一目でわかるようになっている。蓄積電力が六○キロワットをこえると、エネルギーを近所の小学校にまわしたりして、そのエネルギーを循環させることで、石山さんは生活の資をかせいでいるのだ。石山さんらしいと言ってしまえば軽く聞こえるのかもしれないが、長いものに巻かれない、石山さんの生き方、思索が、文章の隅々に貫徹されていて、読むのが愉しくて仕方ない。

 

「良い部品を素人みたいな技術で組み合わせ、器用仕事を続ければ、きっと人間の生きる総合的な道具としての生命力に溢れた物体ができる筈だ。そんな考え方は男がうーんと若い頃から追い掛け続けたものである」

 

など『「秋葉原」感覚で住宅を考える』(晶文社)や『笑う住宅』(筑摩書房)から延々と積み上げられてきた石山節も読者にはたまらない。

石山さんの魅力は数あれど、世界の物流を独特の視座から読み解き、自身の建築に組み込んでいる数少ない、グローバルな視点に立脚した建築家である、ということに異論はないはずだ。

1960年代のベトナム戦争を淵源とするヒッピー文化は、多くの若者を非アメリカ、非西欧文化、つまりアジアに運んだ。そして、ネパールのカトマンドゥは彼らの聖地の如くになる。

若者達の多くはドラッグを好んだが、それとともにエキゾチックな装飾を好んだ。

 

「数少ない目ざとい商才を持つカトマンドゥの商人はすぐにキルティプールの手織りの伝統に目をつけた。まとまった量が突然発注され仕入れられ、西欧人相手に人工的に作られたマーケット、タメールストリートを中心に地元の人間には眼を見張る位の高額な値段で売り続けられた。

(中略)

やがて大量消費の潮流に呑み込まれ、本来の独自性、それは実に現代では希有な可能性の種としてあったのだが・・・華を咲かせる事なく波間に沈んだ。女達は金を得たが、それは草創期の本来の楽しみとは程遠かったのだ」

 

一つのムーブメントが、国境をこえて、マーケットをつくり、そのマーケットが、清濁あわせ呑む形で、その土地の女性の自由、自立のムーブメントにつながっていく。こういう世界の動きを連動させて、いともたやすく語り続けてきたのが、他でもない石山修武なのである。

 

「七○年代前期を最盛期にヒッピー文化は潮のように引いていった。それは本格的な世界の消費社会化の前兆であった。」

 

こんな文章は石山さんにしか書けない。

 

『アニミズム周辺紀行4-何故、今アニミズムなのか』石山修武著・絶版書房

建築家・石山修武が発行する、いまどき珍しい手づくりの本。一冊、一冊に石山修武の直筆の絵が描かれている。これで一冊2500円とは。や、安すぎる! この本の真の価値があきらかになるのは、少なくとも十年後か?

絶版書房という名前のとおり、売り切れ次第、再版せずに絶版となる。一巻につき、大体200冊しか販売しないため、確実に手に入れるためには予約が必要。あたしは、一巻配本時に全巻予約申し込み済み。ふふふ。

本書は、アニミズム周辺紀行シリーズの第四巻。一巻から読み継いでくると、ついに来たか! という感じがする。というのも、異端? の建築家、石山修武の創作の、脳裏の裏側が、アニミズムという言葉を通してついに開陳される。

言葉遊びをするつもりはないが、石山修武が建築家と呼ばれるのが不思議でならない。活躍の領域が遥かに、それを凌駕している。

『荻窪風土記』井伏鱒二著・新潮文庫

井伏鱒二の魅力ってなんだろうか?

「人間は大なり小なり群れをつくる習性を持っている。馬もこの通りであるという。(中略)この習性を利用して考え出した遊びが競馬であるそうだ。同人誌がちょうどそんなもので」

という具合に、人間→馬→競馬→同人誌みたいな、一見ナチュラルに接続してみえる文章が実は、てんで脈絡のないべらんめえだったりするところか。

はたまた、上林暁と文学をかたらって、

「文学青年窶れの生活はつらい。それは身をもってわかっている。お互にいい作品を書くのが念願だが、どんなに力を入れた作品でも百点満点の作品というのはあり得ない。しかも、いつだって間に合わせのものしか書いていない。先ず、今後何年か生きるとして、短編何十篇かのうち一篇でもいいから、「ああ書いた」と、しみじみ思うことの出来るものが書ければいい。お互にそれが出来ないから、毎年のように翌年廻しの順に任している。」

と、力作を書きながら、力作を書きたいと思っている気持ちが伝わって来るところか。

井伏鱒二という人は、軍隊に徴用されても、将棋や釣りをしている時分と、さほど気分がかわらないのか超然としている。

当然、後年ふりかえって書いたということもあるのだろうけれど、小栗虫太郎が「必ず軍刀を持参のこと」という命令に違反して、手に何も持たないで入隊した、とか、ユーモア作家の北町一郎は腰に差すのでなく吊るすのでもなく、いつも左手にもっていた、とか、海音寺潮五郎が、映画で見る甲賀流の忍者のような格好(風紀違反)で、入隊して、少尉中尉らから一目おかれていた、とか、間のぬけたことを書いている。

もう少し大事な、というか大事ではないにしても、目の前にある危機というのを度外視している。死ぬときは死ぬという以上の開き直りというのか、がこのひとの視線には歴然としてあるようにみえる。ふつうはこういうことは書けない(あるいは書かない)。

軍隊の宣誓式で、ヒゲの隊長が怒鳴るような大声で、

『「今から、俺がお前たちの指揮官になった。お前たちの生命は、俺が預かった。ぐずぐず言う者は、ぶった斬るぞ」

 一同の間に動揺の気配があって、いきなり「ぶった斬って見ろ」と叫ぶ者があった。(後でわかったが、これは海音寺潮五郎であった)すると後ろの方の列で卒倒する者がでて』

といった具合に、戦時下にあっても観察することをやめない。海音寺潮五郎の豪傑ぶりはこの後、ますます磨きがかかり、頁をたぐる手が止まらない。よく、人生は些事からなる、といわれるが、こんなに些事を面白くみつめるひとはいない。

『荻窪風土記』は、タイトルどおり、荻窪あたりのことが書いてある。荻窪あたりのことというのは、荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺のことで、たとえば、現在の阿佐ヶ谷南口のパール商店街通りが、阿佐ヶ谷駅の開業に尽力をつくした古谷久綱代議士へのお礼として、駅からお宅の玄関までお抱え人力車が通れるように整備された道だ、とか、太宰治を筆頭に当時、活躍した文士たちが、荻窪駅前の弁天通り(現在の教会通り)というせまい横丁に偶然、あつまっていた、とか。この界隈に住んでいる人には、散歩の風景が違ってみえるようなことが、さらっと書いてある。

井伏鱒二の魅力は、語られる言葉というのが、ひとつの芸になっているところだろうか。おそらくは、酒場や蕎麦屋で、あるいは将棋や釣りをしながら、落語を高座にかけるように、反芻し、語りあううちに、とぎすまされていったのではないだろうか。落語みたいに、何回読んでも味のある不思議な一冊である。

『始祖鳥記』飯嶋和一著・小学館

タイトルからすると、椎名誠の『中国の鳥人』を彷彿とさせる、鳥人ものかと思いきや、そうは問屋がおろさない。

本書の主人公、鳥人・幸吉は、一般の銭払いとは一線を画した、「銀払い」の表具師で、若くして最高の名誉を得た創造性のある数少ない職人である。若くして、地位も名誉も手にしながら、幸吉には、どうしても諦められないことがあった。それが、空を飛ぶこと、である。

時代は、徳川時代である。

人間が空を飛べば、それは妖術、妖怪の類として怪しまれることこの上ない。折しも、政治不振で、飢饉、凶作が頻発する政情不安な時代である。毎日の暮しがままならない、町人は、夜な夜な空を飛ぶ、鳥人の噂に夢をみた。

「翼が一丈六尺もあり、頭は人でありながら、胴は蛇のような鱗で覆われ、くちばしと爪は鷲鷹のそれだった」という、元弘の時代、大内裏の紫宸殿に夜な夜な飛来し「イツマデ、イツマデ」と鳴き叫んで後醍醐帝始め、殿上人を奮え上がらせた、世救いの瑞鳥、鵺の夢である。大勢の町人は、何もかもでたらめな藩政におのれの身を挺して、悪政を指弾しつづけた英雄として幸吉をもてはやした。

幸吉にとって、それは悪夢以外のなにものでもなかった。

「人々の賞賛はいつも場違いなもので、やがてそれが己に何をもたらすかは身にしみていた」

ただ空を飛びたいだけなのに、それがまったく別の意味に書きかえられて、獄につながれてゆく。

このハードロックな展開が第一部で、この「鵺の噂」を基調に、「塩」の流通をめぐった徳川時代の金融腐食列島的第二部、その余勢をかった木綿商いで成功をおさめながら、そこには納まりきらない第三部と、物語は重層的な構造で、怒涛の展開をみせてゆく。

個人的には、引用されている山上憶良の歌「よのなかを うしとやさしとおもへども とびたちかねつ とりにしあらねば」や、「最も良質の心を備えた者が、最も酷い目を見る。いつだってそうだ」など著者の人生観が随所に、にじみでているのがいいなあと思いました。

かけ値なしの良書。

『シャングリラ』池上永一著・角川書店

爽快な読後感。

冲方 丁(うぶかた とう)のマルドゥック・シリーズ(『マルドゥック・スクランブル』、『マルドゥック・ヴェロシティ』ともにハヤカワ文庫)を彷彿とさせる壮大なSF小説。

舞台は東京で、分厚い雨雲ごと落ちてくるようなスコールに苦しめられる、100年後ぐらいの世界。地上は遺伝子改良された森にのみこまれ、地上を追われた人間はまるでバベルの塔のような、空中積層都市「アトラス」を築きあげ、そこに逃げこむように暮らしている。

ただし、「アトラス」で暮らせるのは選ばれたエリートたちだけで、数十万人の難民は、獰猛な鬱蒼としげった森のなかで、おびえながら暮らしている。そうした不平等な社会を打倒すべく、「メタル・エイジ」というゲリラが組織され、数十年にわたる戦いの火蓋がきっておとされる。

女子高生にして、ゲリラの総統に着任した選ばれた少女・北条國子、六本木でニューハーフパブを経営していた元・五輪候補の格闘家・モモコ、嘘をつくものを無作為に殺す呪力をもつ美邦、そのパブで踊っていた百貫デブのミーコ、プログラミングとマーケティングの天才小学生・カリン、清心な軍人・草薙、謎のアルメニア系アメリカ人・タルシャンなど、一癖もふた癖もある人間が「アトラス」をめぐって、いりみだれていく。

また日本書紀やギリシア神話の世界に、なつかしのリチャード・ドーキンスの遺伝子ワールドなど、多少ステレオタイプなところが目につくけれど、カーボンが世界経済の要として描き、経済炭素という概念で世界を新しく描きなおす筆力は、上下二段、592頁のボリュームにふさわしい。

長編は持ち運びに適さないのが難だが、読み終えたときの読後感がたまらない。よし。

『弟の戦争』ロバート・ウェストール著・原田勝訳・徳間書店

ロバート・ウェストールはイギリスの児童文学を代表する作家のひとり。

弟のアンディがうまれるまで、トムには目に見えない「フィギス」という友達がいた。アンディが生まれてから、二人の間で、「フィギス」はアンディのあだ名になった。「フィギス」は、たよれる奴という程度の意味で、トムはアンディが、「フィギス」が大好きだった。

「フィギス」にはすこし変わったところがあって、それはたとえば、自分が世話をしたリスが、どれだけ多くのリスに囲まれていても一目でわかったり、新聞の写真をみただけで、その人の名前をいいあてたりした。「フィギス」には、どれだけ遠く離れたところにある人や物とでも心を通わすことができた。それはとても素晴しいことではあったけれど、いいことばかりではなかった。なぜなら、世界の半分は狂っているから。

湾岸戦争がはじまると泥沼の戦争に引きずり込まれるように、「フィギス」はイラクとつながったまま、壊れたテレビのように、アンディに帰ってこられなくなってしまう。かわりに「フィギス」を通じて現実に帰ってきたのは、「ラティーフ」というイラクの少年兵で、精神科医のラシードは、どうしてアンディがアラビア語を流暢に話せるのかが不思議でならない。アラビア語に堪能な元イラク軍の軍医と話をさせてみると、「ラティーフ」は実在し、バクダートにいるのではないかという。

アメリカはイラクに空爆をはじめ、アンディを通して実在する「ラティーフ」に、螺旋を描くよう、日に日に空爆が近づいていく。トムとラシード先生が見守る中、ついに「ラティーフ」に最後の瞬間が訪れる。

戦争の裏側を、少年兵と、純粋無垢な存在の象徴「フィギス」で描いた問題作。死と再生といういささか通俗化したテーマを鮮やかに描きだしている。

原題は"Gulf"。

「湾」や、象徴的に、「へだたり」や「断絶」といった意味がある。

湾岸戦争に対するウェストールの怒りが込められている。

 

ところで、ここでウェストールが分類されている児童文学とは一体なんなのか。

子供や動物を主人公にすえれば、それは児童文学なのか?

『弟の戦争』は文学である。ウェストールはそういわれることを望まないだろうが、湾岸戦争という主題からいっても、英文学といって間違いない。

おそらく、一般の成人男性は、書店にある児童文学をみない。子供によませるとか、仕事(教育系)で使うとか、知名度が全国区になった『獣の奏者』みたいなものであれば、手にとって読まれることもあるだろう。児童文学と銘打たれたものは、ただ版元が児童文学専門だったり、子供向けに書かれた意図はあるにせよ、『ゲド戦記』しかり、『くまのプーさん』しかり、文学そのものの内容から分類されているわけではない。

何がいいたいかといえば、書店にしても、図書館にしても、児童文学という分類は読者を選ぶということで、すなわち、僕の読書の邪魔をするなといいたいのである。

『ウディ・アレンの浮気を終わらせる3つの方法』白水社=○

学生時分に『これでおあいこ』『羽根むしられて』を読んで、彼がどうしてニール・サイモンと並び賞されるのかがわかりませんでした。そうした気分を忘れたころに、病院の待合室で時間つぶしに読み始めてどっぷりはまりました。
ニューヨークの浮気好きな作家を主人公にした三つの一幕劇集で、それぞれ別個に楽しめます。牛のよだれみたいに延延続く冗長な台詞や、ロシア演劇に出てくる悲劇のヒロインみたいな台詞にこらえきれずに思わず噴き出してしまいました。何よりいいのは、二幕目の『オールド・セイブルック』。終わり方がとても良い。さすが経験者は違う。

 

漫画『日本人の知らない日本語』蛇蔵&海野凪子著・メディアファクトリー

朝日新聞の書評欄で珍しく漫画が紹介されていたので、買う。

本書は、日本語学校の教師が外国人学生と繰り広げる、なるほど×珍日本語のうんちくが楽しいコミックエッセイ。

 

袖ビーム→ガードレールの端のまるまった部分

ピカイチ→花札の中に一枚だけある「光物」という点の高い札に由来

 

だけでなく、

 

ご苦労さま→目下の者

お疲れ様→目上の人

 

だとすれば、きっと「がんばれ(→目下の者を励ます言葉)」にもあるはずだと、華道の先生にうかがうと、やはりあって、それが

「お疲れの出ませんように」

ちょっと、いい。

言葉のうんちくだけでなく、なんとかジャーキー的「猫缶」を、文字どおり「猫の肉の缶詰」だと思って、買う外国人がいたりして、思わぬ隙をつかれてしまう。

面白いだけでなくて、しっかりと調べて書いてあるので、そこいらの日本語の読本よか、勉強にもなります。

ベテラン編集者のかたにうかがうと、日本語や、マナー本に関する周期というものがあって、それは大体二年おきなんだそう。いわれてみると、なるほどと思って、ノートに書き写した言葉はしっかり忘れています。

「お疲れの出ませんように」は是非とも使ってみたい。

『物語の役割』小川洋子著・ちくまプリマー新書

もし、宇宙人がいるとして、本を読んでいる人間を見たらどう思うだろう?

 

「小さな箱型の紙の束を手に、ただじっと座っているだけで、あるいは寝転がっているだけで、時折、一枚紙がめくられる以外変化はなく、ただ静かに時間が過ぎてゆく。いくら辛抱強く待っていても、何か新しい製品が生み出されるわけでもない。一体何の得があって人間たちはこんな地味な営みをしているのか?」

 

こういうサン・テグジュペリみたいな、素敵な問いかけをしてくれる人がつまらない本を書くはずがない。じっと座って本を読む。そのときの人間の心がどれだけ劇的に揺さぶられているか、それは読んでいる当人にしかわからない。その経験は、数値にはおきかえられないし、目にも見えない。当人にしかわからない、かけがえのないものである。

宮崎駿は、何度も物語の役割について、「ファンタジーの力」という言葉を使って言及してきた。

僕にとって、読書が面白いというただ単純な事実は、どれだけ僕の行き詰った人生を助けてくれたか、それは筆舌につくしがたい。筆舌につくしがたいというのは、言葉の矛盾ではあるけれど、それは、読書の、もっといえば、物語の役割の核心にふれている。

「小説というのは言葉で書いてあるのに、言葉にできない感動を与えなければいけない不思議なもの」だからである。

「何かが起こる。それを表現する。紙の上に再現する。これが言葉の役割です。言葉が最初にあって、それに合わせて出来事が動くことは絶対にありえません。ですから過去を見つめることが、私は小説を書く原点だと思います」。

というように、「言葉は常に後から遅れてやってくる」。

物語と真摯に向き合い、精力的に小説を書き続ける作家・小川洋子が、物語と創作、読書について語った、宝石箱のような一冊。 

『夫婦善哉』織田作之助著・新潮文庫

織田作之助は、坂口安吾、檀一雄、太宰治などと並んで、「無頼派(ぶらいは)」として名高い。今や古典と化した「夫婦善哉」は、なんと処女作で、2007年、没後60年目にしてはじめて別府温泉を舞台とした続編が存在していたことが判明した。続編を読む前に、この珠玉の短編集を読み直す。どの作品にも織田作之助の何度も繰り返されるモチーフ(兄が弟に「お前は継子だぞ」と告げることに快感をもつ、などの形影相憐れむ姿)、人生観が色濃くにじみでていて、たとえば「世相」には、

 

「僕はほら地名や職業の名や数字を夥しく作品の中にばらまくでしょう。これはね、曖昧な思想や信ずるに足りない体系に代るものとして、これだけは信ずるに足る具体性だと思ってやってるんですよ。人物を思想や心理で捉えるかわりに感覚で捉えようとする。左翼の思想よりも、腹をへらしている人間のペコペコの感覚の方が信ずるに足るというわけ。」

 

や、自戒を込めた

 

「ペンを取ると、何の渋滞もなく瞬く間に五枚進み、他愛もなく調子に乗っていたが、それがふと悲しかった。調子に乗っているのは、自家薬籠中の人物を処女作以来の書き馴れたスタイルで書いているからであろう。自身放浪的な境遇に育ってきた私は、処女作の昔より放浪のただ一色であらゆる作品を塗りつぶして来たが、思えば私にとって人生とは流転であり、淀の水車のくりかえす如くくり返される哀しさを人間の相(すがた)と見て、その相をくりかえしくりかえし書き続けて来た私もまた淀の水車の哀しさだった。」

 

がある。

また、短編の名手にふさわしく、

 

「楢雄は生れつき頭が悪く、近眼で、何をさせても鈍臭い子供だったが、ただ一つ蠅を獲るのが巧くて、心の寂しい時は蠅を獲った。」(「六白金星」)

 

などの書き出しや、

 

「路地の多い――というのはつまり貧乏人の多い町であった。」(「木の都」)

「リアリズムの極致はユーモアだよ。」(「世相」)

 

ときに切り立つ詩のような一文が散らばっている。

表題作の「夫婦善哉」は、「年中借金取が出はいりした。」という書き出しから、ぐいぐいと読者を大阪の、しもた屋に引きこむ。

一銭天婦羅をあげる種吉の娘、蝶子は、器量がよく、算盤ができた。

よくよく貧乏をしたから、「七厘の元を一銭に商って損するわけはない」という父の算盤に、炭代や醤油代が入っていないことも知っていた。

年をとるごとに、蝶子はむくむく女めいて、顔立ちも小ぢんまり整い、芸者になった。馴染みになった安化粧問屋の息子、維康柳吉には、女房もあり、子供もいたが、深くなり、勘当されて駆け落ちをする。柳吉は、何度も商売をかえるがうまくいくものはなく、爪に火をともす思いでためた蝶子の貯金をだまって持ち出して羽目を外して遊ぶ。蝶子に何度折檻されても、その癖はなおらず、なおらないままに二人はただ歳だけをとっていく。

夫婦善哉は、法善寺境内にある店の名前で、「ぜんざい」のお店である。ぜんざいを註文すると、女夫(めおと)の意味で一人に二杯ずつ持ってくる。

柳吉が、

 

「こ、こ、ここの善哉はなんで、ニ、ニ、ニ杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか太夫ちゅう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」

 

というと、蝶子は

 

「一人より女夫の方が良えいうことでっしゃろ」

 

と淡々として小気味良い。

短命だった織田作之助は、七年の作家生活を通して五十数編の作品を残した。

 

雑誌『新現実』vol.4 太田出版

2002年7月に、大塚英志と東浩紀の2人が編集する文芸誌・批評誌として創刊された。誌名は東浩紀の考案。東は2号で「降りる自由」を行使し、発行元は角川から太田出版に移動。創刊号の原稿料は大塚英志の持ち出しであるらしい。以下、キャッチコピーの変遷。

 

  • Vol.1 いちばん新しい文学がここにある。
  • Vol.2 「新しい現実」を生きる思想誌
  • Vol.3 「新しい現実」を生きるための思想誌
  • Vol.4 戦時下の批評誌
  • Vol.5 見えない戦時下の批評誌

 

4号は、大塚英志、上野俊哉、中塚圭骸が編集委員を務める。はじめ宮崎吾朗の映画『ゲド戦記』を特集する予定だったが取材を拒否されている。大塚は、数少ない『ゲド戦記』擁護者であるだけに鈴木敏夫とのしがらみなのかこれは残念。

上野俊哉はご存知、カルチュラルスタディー、中塚圭骸は香山リカの実弟。中塚圭骸は「姉ちゃん」のことを暴露(新しく彼氏ができると試しに大林宣彦の映画『ふたり』をみせるなど)することで定評(?)があり、大塚との巻頭対談でも、小学校二年のときの哲学的ないじめを開陳している。

 

「中塚 三面鏡の前に立たされてね、その後ろにもうひとつ三面鏡置かれたのよ。ぼくがどーっと小さくなっているでしょ。「ほらほら、あの一番小さい人は圭ちゃんかな?」なんて言って。石坂浩二の『ウルトラQ』みたいなこと、言い出すんだよ。それで、ぼく失神したんだよ、また。ばたーんって。それから給食食べれなくなってね、学校行けなかったんだよね。哲学的ないじめでしょ。そのとき六時半からNHKでやっていたSFシリーズの『時をかける少女』を見ていたところで、姉ちゃんもSFにイカれた時期だった。それ以来、学校に行けなくなった。そして学校に行こうとするとね、口から泡が出てきてね、歩けなくなるのね。」

 

『ゲド戦記』については、大塚が、画面が全体にフラットであることを、吾朗のアニメーション技術の低さであることを指摘しながらも、建築家として無自覚に導入した空間構成自体を特徴と位置づけて評価している。

久々に雑誌を読んだが、雑誌を読む習慣が一切ないために、とてつもなく読みにくい。A5サイズの版型に5段組はありえない。

 

 

『月の影 影の海 十二国記』小野不由美著・講談社文庫 上・下

渡瀬悠宇の少女漫画『ふしぎ遊戯』(小学館・1992年)を想起させる、ハイファンタジー小説群。十二国記のほうが一年早いが、当初は連作としては発表されていなかった。

本書は、外伝をのぞくと第一作目。 

 

普通の女子高生・中島陽子の日常が、ある悪夢を出発点にして、非日常の世界に変わってしまう。

いつもと同じように学校生活を送っていたら、突如「ケイキ」という中国風の格好をした金髪の男に、危険が迫っているから逃げろ、といわれる。あまりにも唐突すぎて、茫然としていると、悪夢にでてきた異形の獣が実際に目の前に現れて襲いかかってきた。異形の獣たちの襲来をさけるために、地図にない、異世界の国に逃げ込むが、異形の獣に襲撃されて、陽子を守ろうとしていたケイキらといきなりはぐれてしまう。

陽子が放り出されたのは、日本語ですらない完全な異世界で、おだやかな風景とは別に、神仙や妖魔、半獣の人間などが混在している。その名のとおり、十二の国があり、絶対的な王制がしかれていた。十二の国には、それぞれ神獣・麒麟が存在し、麒麟が直感で選んだ人間が王になり、妖魔を治めて怪異を鎮め、国を治めている。王は、神獣・麒麟と契約をかわすことで、ほぼ神と等しい力を手に入れるが、神話に語られる、天帝の天意に沿った形で国を治めることが求められる。王が天意から外れた政治をすると、麒麟が死に、麒麟が死ぬと王の契約も失われて、ともに死に、国が荒廃してしまう。

陽子が流された国・巧国は、王が外道の政治をし、隣の慶国には王がおらず、かわりに偽の王が即位をして、国が荒廃していた。

陽子は荒んだ国の中を放浪することで、人間の絶望を知り、妖魔に襲撃され、疑心暗鬼になりながらも孤独な心を温めてくれる優しさがあることを知る。元の世界に帰るために、「ケイキ」を探す旅にでるが、そこで知ったのは衝撃的な事実だった。

少女の成長過程を通じて語られる一大叙事詩。

 

 

『悪霊がいっぱい!?』小野不由美著・講談社X文庫

『悪霊』シリーズの第一作目。

中村幸緒のイラストが漫画のように随所に挿入されている。

 

旧校舎を取り壊そうとすると、事故が起こる。

暴走したトラック、死んだ子供、窓から手招きする白い影。

あいつぐ事故は、旧校舎のたたりではないかと危ぶむ校長が、霊能者関係に調査を依頼した。

続々と集まってきた霊能者たちは、心霊現象をおのおのの得意分野で解説し、除霊を行うも、皆失敗してしまう。

首をかしげる霊能者の前で、渋谷一也は見事な推理を展開する。

主人公はひょんなことから渋谷の助手をつとめることになった女子高生・谷山麻衣。ほぼラブコメ。キャラクター小説とまではいえないかもしれないが、以下・濃い登場人物が目白押し。

 

渋谷一也(ゴースト・ハンター 「渋谷サイキックリサーチ」所長にして高校生。科学を重んじる)

原真砂子(有名な霊媒。顔は美人だが性格が……)

ジョン・ブラウン(童顔のエクソシスト。壊れた関西弁を使う。間違っても覚えたくはない)

松崎綾子(けばい巫女。やはり口が悪い)

滝川法生(元・高野山の坊主)

 

 

『紅はこべ』オークシイ著・河出文庫

オークシイは、1865年生まれのハンガリーの男爵の一人娘。

本書のタイトルである、『紅はこべ』は、イギリスの路傍に咲く可憐な花の名前。古典ロマンの傑作で、フランス革命をイギリスからみた視点で描いた、不滅の純愛ミステリー。

フランス革命といえば、三部会の招集にはじまり、バスチーユの占拠、人権宣言、共和政の確立、ルイ16世の処刑、恐怖政治、テルミドールの反動など、ボナパルトの登場までつづく、政治的連続の事件か、貴族支配に対する、新興ブルジョワ階級の勝利として、とらえられることが多い。

しかしながら、なんといっても、断頭台、である。

一夜にして、何百人もの貴族が、ピストンのように送り出されつづけ、首をおとされた。その、禍々しいイメージと、血にまみれた歴史の暗部には、屈折した歴史的な感情が多層的に入り乱れている。

本書は、この暗黒時代のフランス、パリを舞台に、断頭台に送られる、貴族たちを救出する謎の組織『紅はこべ』の活躍を、実在の裁判官のフーキエ・タンビル、政治家ロベスピエール、皇太子プリンス・オブ・ウェールズなど、歴史的人物を配して、描いたミステリー。

この本を知ったのは、ちょっとした偶然で、三鷹に、ジブリの美術館があって、そこに、宮崎駿の本棚が、なんとなく、展示されていました。創元社の文庫と一緒に、なんとなく刺さっていた、とっておきの一冊です。

と申しますのも、ちょうど、昨日が、この頁をはじめて100日目で、ちょうど、この本が百冊目です。ワインじゃあるまいし、とおっしゃる向きもおられるかもしれませんが、そこはご愛嬌。ご笑覧くださいまし。

『山谷崖っぷち日記』大山史郎著・角川文庫

「つまるところ、私は人生に向いていない人間なのだ」

大学卒業後、サラリーマンになるも続かず、何度も転職を繰り返すうちに、会社員生活をあきらめ、西成の異界、釜ヶ崎で労務者生活をおくるも、会社員をあきらめきれずに上京するも失敗し、最終的に「山谷」で生きていくことを選んだ著者は、そう結論づけることによって、人生を総括する。

週にニ、三日は必ず顔を合わせていた人が、あるときからふっといなくなり、いなくなったが最後、もう二度とその人に出会うことのない最後の寄場、山谷。

ページをめくる音がうるさいと、唐突に隣人に足の裏を殴られるような、たたみ一畳のベッドハウスに暮す著者が、悲壮感も、焦燥感も、不安感も、羞恥心もなく、淡々と紡いでいく山谷の日常。

たかだか二百頁に過ぎぬ言葉が重い。

「鳶は山谷の貴族である」

や、

「人の身体の臭いは、入浴をしない日数がおよそ一週間から十日ぐらいの時に、まず最初のピークに達するように思われる」

など、山谷に生きる著者ならではの視線にどきりとする。

なかでも、山谷の真のホームレスについての視線がするどく、山谷における重要な階級差は、住居の有無ではないと指摘し、食べ物を漁るか否かだという。

 

「老齢になれば(六十五歳ぐらいで)福祉の手が伸びてくるらしいのだが、労働市場から排除されてから福祉の手の中に飛びこむまで、端境期とでもいうべき時期があり、この時期の人々が山谷の真のホームレス階層を構成している」

 

この最後の転落を前にした著者は、山谷のほかの住人と同じように、何をするでもなく、ただただ流れに身をまかせて、何もせずに、その日がやってくるのを待っている。

著者が、他の住人と違ったのは、宝くじを買うような気持ちで、この文章を書いたことであろう。

現代の「方丈記」と、審査員の絶賛をあびた、開高健賞受賞作。

『対論』五木寛之・野坂昭如著・講談社文庫

学生時代に『風の王国』(新潮社)という小説を読んで、五木寛之という作家を知った。五木寛之は直木賞作家で、仏教について一家言あり、メルセデス・ベンツをこよなく愛し、髪の毛を一年間に二度しか洗わない、というどうでもいいトリビアルな豆知識を塗り替えてあまりある、濃厚な小説だった。

「歩くこと」を血湧き肉踊るエンターテイメント小説にする、というのは、おそらく前人未到の境地で、五木寛之をしてしか辿りつけないサミットのひとつだと思う。この一作で、色あせてみえた五木寛之という活字が、浮上して手にとって読むようになりました。

本書は、盟友・野坂昭如との対談集で、1969年に収録されている。作家・小林信彦が評論家・中原弓彦(作家としてデビューする前につかっていたペンネームのひとつ)と記載されていて、時代を感じさせる。書誌情報が欠落しているので、ちょっといい加減なつくりだと思うが、外地引揚派の五木と焼跡闇市派の野坂の対談としてはちょうどいいのかもしれない。

五木 「何について話そうか。」

野坂 「何でもいいよ。」

常にノープランで、青春とはオナニーだ、という豪快な理論を自作『青春の門』をひもときながら本気で話あったり、セーラー服で勃つかどうか確認しあったり、和田誠と横尾忠則がときどき顔を出しながら、一言たりとも言葉を発さずに終わるという、エキセントリックな展開に笑ってしまった。

しかしながら、一冊まるまま、二人の直木賞作家が、文学について何も語ることがないぐらいに仲がいいとは、この本を読むまで知らなかった。

『文学賞メッタ斬り! リターンズ』大森望・豊﨑由美著・パルコ出版

ご存知、暗闇につつまれた文壇村の黒いベールをばっさりと斬りすてた、メッタ斬りシリーズ第二弾。現在は、たしか第四弾まで刊行されていたはず。

時評系の読み物は時間が経つにつれて鮮度が落ちてしまいがちなのだが、本書が別格なのは、心胆を寒からしめる実名批評にこそある。カレーは甘口しか食べられないけれども、辛口は大好き。うかつな豊﨑と知性派の大森の組み合わせがよく、今回はゲストに前人未到の芥川賞落選六回! の文壇の貴公子・島田雅彦が登場。

豊﨑に、「そもそも多数決から一番遠いところから生まれるのが、文学なんじゃないか」と本屋大賞などの談論から文学の核心について問われ、

「何しろ小説に関しては、ストーリーテリングでしか、みんな才能を評価しないからね。どういうスタイルを選んだとか、どういう企みを秘めているかとかその作家がどれだけ不吉な存在かとか、そういうことはむしろ背景に退いてしまう。(中略)でも、ストーリーテリングっていうのは、普通のテレビ番組などによって培われている感性なんですよ。(中略)その芸を極めると、ハリウッド映画になるわけですね。実に編集が巧みで、観ている間はなかなか楽しいし興奮しますけれども、終わった後、与えられた要素が全部消化されてしまうので、何も残らないわけです。下痢さえしない。」

と本音を開陳している。

ところで、何百冊という本が紹介されているにも関らず、読みたいと思わせる本が一冊もない。メッタ斬り自体は面白く読めるのだけれども、書評としては失敗している。

『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR no.01 東海道本線』朝日新聞出版

1872年(明治5年)に新橋~横浜間が開業してから、1914年(大正3年)まで、帝都・東京は、鉄道の空白地帯であった。日露戦争当時、皮肉にも軍艦一隻分の建築費をかけてつくられた赤レンガ駅舎の東京駅は輸送上の大きな障害だったんである。1945年(昭和20年)の関東大空襲で焼け落ちてしまうものの、1872年(明治5年)10月14日、日本の鉄道の夜明けをつげた新橋~横浜間の開業以来、東海道本線は歴史を刻みつづけてきた。

東海道本線とは、東京から神戸を指す。神戸駅5番線の距離標(キロポスト)には、0とある。ここで東海道本線が終わり、山陽本線がはじまるのだ。知らなんだ。構内レストランには貴賓室も残っているという。

雑誌が楽しいのは、雑多だからである。

横浜~沼津間の相模橋梁(馬入川橋)の脇のコンクリの飛び石は、ゴミじゃなくて、関東大震災で倒壊した橋脚の一部であったりとか、蒸気機関車の、例えばC62形の場合、Cはアルファベットで3番目、したがって動輪が3軸、Dなら4軸という記号であったりとか、‰(パーミル)とかいう親しみのない単位に出会えたりするんである。

日本人ではじめて汽車にのったのは中浜万次郎とか、日本ではじめて蒸気機関車の模型をつくったのは佐賀藩の「からくり儀右衛門」とよばれた田中久重であるとか、日本の鉄道の父と呼ばれたエドモンド・モレルの妻は、日本人かイギリス人かでもめていることまでも、たった一冊でわかってしまう。390円で。