3/8 「夏に近い春よこんにちは 原宿と下北沢にて」
原宿に劇を観に行った。faifaiというユニット。出演者の天野君から案内が届いた。
着いたころには汗だくになるほどあつい。
『Y時のはなし』
ざっくりいって学童保育の話。
学童保育にかかわる子供だったり、小学校の教師だったり、学童のアルバイトお兄さんあたりが主な登場人物。
人形が登場人物だったり、操っている役者さんだったりする。
2つのレール(人形と人形使い)をいったりきたりする。
舞台設定も夏だったが、客席も夏だった。
舞台装置や小道具の遊び心と台本の遊び心と音楽と映像を楽しむ。
終わりが切ない。
学童保育とか転校とか、みんなそばにあったのだろうか?
僕は経験しなかった。祖母がいたから。
家に帰ると祖母がいておやつを食った。小学二年生のある日、帰宅すると祖母の代わりに母がいた。それがとてもうれしかった記憶がある。母は基本的にパートに行っているから、どうして母がいるのかわからなかったが、うれしかったのだ。
祖母は入院しており、それから半年くらいで祖母はなくなった。
末の弟が小学校に上がる頃、母は我が家で学童保育のようなことを始めた。転勤でやってきた共働きの教員の子を預かる学童保育のような施設が山奥過ぎてないのだ。だから我が家が簡易学童保育のようなことをしていた。つまり僕は中学生ながら学童保育のおにいさんをしていたのか。
上の数行は本編と関係ない。演劇や本の物語を人はいつの間にか自分の経験と照らし合わせることがある。それは何でだろうか。結局、自動で連想ゲームするみたいなシステムが人には備わっているんだろう。学童保育の体験はないと思っていたが、書いているうちに出てきた。
しかしもう少し前に下北沢で観た、パパタラフマラというグループのは、すぐに経験というか言葉に置き換えることができない。それはよい意味でだ。
出てくるものを追っかけて行くのがやっとだ。
タイトルが『Nobody NOBODY』でどうやら、「ゴドーを待ちながら」の人が来ないって設定だけといったようなことも書いてあった。
最近、台詞が演劇の醍醐味の95%をしめるようなものでなく、色んな要素が入ってきたのが増えてきた気もする。
昔からそうだったのだろうか。
数年前に青山のクラブでfaifai(旧・小指値)のイベントにパパタラの松島さんが出ておられてた。小指値の身体のぎこちなさと松島さんのなめらかさの差が印象的だった。しかしそれからfaifaiさんはすごくなめらかになったように思う。流れる方法はそれぞれだが訓練や余計なものを落とすことによって滞りが減り滑らかになるように思う。
3/3 「こんばんは荒川」
27日(土)か28日(日)でもどちらでも良いニュアンスで色んな人に荒川ホームパーティー招待メールを出したのが木曜日とか金曜日。しかし人の集まりが悪い。
おそ過ぎの案内か。
27日がプレイベントのつもりだったが、27日に人は集まった。
集まったといいつつ、元・住人の編集長とK先生、青木さん(演劇仲間)と鈴木君(演劇仲間兼落語研究会)。家で少し飲んで、何故か中華料理やへ移動。
鈴木君はすぐに酔いだし、次第に周囲に絡むようになる。鈴木君は信用金庫で働いている。銀行と消費者金融の中間に位置している職種。金の問題は大変そうだ。金を貸せる人と貸せない人の境界線、預金をしていただいている顧客だが金は貸せないとか。
狭いコミュニティーの中での人間の欲とか情とかを絡まった金銭借用の決断。鈴木君が人生の大先輩に見える。
真面目な話をしていて、彼の鉄板ネタであるマイケルジャクソン『ビリージーン』がなかなか始まらない。そこで、彼のマイケルを見るために皆が扇動作戦を始めるが「女がいない」ということで調子が出ない。
中華屋のおばちゃんを
「メイレイメイレイ(きれいだねきれいだね)」
とほめるも、
「あれじゃ駄目です」。
彼はキッパリと言っているうちにつぶれた。
それから舞台を家に戻して人生ゲームをする。
人生はゲームだという使い古された言葉を実感する。言葉は新鮮でもすぐ地層深部に沈み、たまに表面に出てくる。
それぞれ不動産屋、サラリーマン、教師、フリーター等の職業につく。
途中パラレルに並ぶコースのどりたを選ぶかが人生ゲームの醍醐味なのだが、頷ける。今回の人生ゲーム終盤にあるストレス道と幸福道。勿論、ストレスが少ない人間が幸福道を歩めるわけだが、人生28年目にしてなんだかなぁこれはと思う。
こわい。
小学校の時やった人生ゲームより身近に感じる。寝ておきて翌日、人の来る気配がない。
始発で帰った者、仕事へ行く者、友人の結婚式に行く者、パチンコに行く者。人がほとんどいない。
これはまずい。
2日という含みを持たせなきゃ良かった自身の体力も減ってきた。ここに人が来たらどうする。パーティーのふれこみで呼んだ人はどうなる。誰もいないぞ。いや俺がいるか。ホームパー
ティーっていうか、マンツーマンだ。困った。閃いた。
「人が集まりませんので今度いっぱい集まる時にやります」
と数名にメール。
もしかしたらそのメールをした数人は来たかもしれないのに。ここで進路を1つ僕は変えた。安心ながらつまらない人生へ進路変更。
昨日、日中のサッカーの筋肉痛、寒さによる風邪も眠って元気に復活の道筋ができた。
がしかし、夜10時くらいに一人来て、夜11時半にもう一人来た。
思わぬ方向に進路は再び変更された。平井さん(演劇の音響)、吉田(落語研究会)だ。
吉田はミクシーで落語研究会の人間がこのイベントの記事を書き込んだことで知ったらしい。
何故なら静岡で仕事をしているはずの彼を誘おうとは思っていなかったからだ。
話してみると静岡での仕事を辞めたみたいだ。
どひぇー。
そんな時に来るかとも、そんな時だから来たのかとも思う。
実家の新潟に戻る途中に酔った勢いでやってきた。
落語研究会といいつつ寡黙な彼だったが、ことの他よくしゃべる。
人生は思わぬところで路線変更が起こる。
そして月が変わって3月2日、池袋のベローチェで阿部さんに会う。演劇仲間の阿部さんだ。実は阿部さんにも今回のパーティー案内をメールしていて、仕事でいけませんと連絡を貰っていた。そしたら会えた。
不思議だ。
阿部さんはベローチェで丁度1時間程前に僕の話をしていたらしい。
「1時間程前に五十嵐さんの話をしていたら、五十嵐さん来ました」
別に異常な出来事では決してないが、不思議に思える。
カルマか。
2/25 こんにちは土地4 『こんにちは荒川』
荒川の家でホームパーティーをするので来てみてください。
僕が今住んでいる家です。
2010年2月28日(日)13時から夜まで。
前日27日の夜でもいいよ。
なんだかな人生って川の流れみたいだよな。うまくいくとかいかないとかってあるけど、本当に大事なことは第三者によって決まる。本人の意思がどうしてもこうしたいあーしたい、あーなりたくないとか嫌だとか思ってもうまく行く時ってのは行くし行かないときは行かないのかもしれない。
大学卒業してからよく思います。連絡続く人ととらなくなる人。うすうすは予想していたけど、連絡取り合うって自然淘汰されていくなぁ。
小学生の頃、地元の川を下校中に橋の上から見ていた。しばらくすると船に乗ってるように感じる。多分、視覚から脳がマヒしだすのだと思う。船に乗ったことなどないが仮想の船にはしばしば乗って遊んだものだ。そして唾を垂らし、雨粒を作り出す雲の上の神様の真似もした。下品だ。だいたい神話って下ネタばかりだ。だって神様だもの。
とまあ書いたものの、今年は交流しようということで家でパーティーをすることにしました。
先日、同居人と何しようかと話して3人でマジカルバナナをしてみました。
なかなかリズムにのってポンポン単語が出てこないです。
荒川まで誰か遊びにきてくれたらうれしいです。
2/23 こんにちは土地3 『こんにちは2丁目』
先日、初めてオカマバーに行った。店名は『黒髭』。
場所は新宿2丁目でなく仙台。
なんとなく2を連発しようと思ってこんなタイトルになった。
2010年の岸田戯曲賞候補に、若干面識のある2人が選ばれた。
柴幸男 『わが星』 と野木萌葱 『五人の執事』 だ。
柴君はとても現代的な作家だと思うし、野木さんは物語の創造主という印象。
おそらく審査員が読んだことのない新しいものを欲すれば柴君が受賞するだろう。何せストーリーというか構造をぶっこわしながら再構築して舞台を作るから。音楽のサンプリングとかループとかって手法が入っている。ラップが好きで思いついたのかもしれないが、僕の印象はスティーブライヒとかのミニマル音楽だ。スティーブライヒの音楽って、久石譲の師匠みたいでとにかく気持ちいいのだ。波が干渉したり回折したりみたいな。柴君は頭がもともとすごくいい人なんだと思う。ただ一番すごいのはその思いついた手法を実行にうつすセンスなのだと思う。ラーメンズの小林賢太郎を彷彿させる。
野木さんの作品は大きく分けて2つパターンがある。歴史上の出来事を資料を参考に再構成する場合とそれがない場合オリジナル戯曲調の場合。代名詞といえば歴史上の出来事をモチーフにした戯曲なのだが、今回はオリジナル調の作品が候補になった。
野木さんの物語を作る力は岸田戯曲賞受賞者の中でも10年に1度くらいの才能だと思う。作るときは脳裏にうつる映画みたいな映像を浮かんでくるものをそのまま書きうつすらしい。なんか野木さんの物語はメキメキ生えてきて絡まりあう大自然みたいな印象もある。
で柴君が受賞したようだ。
すごいな。
おめでとうございます。
柴君の作品を初めてみたのが新宿2丁目だった気がしてネットで調べるも、検索にかからない。それはよくできたウェルメイドで幾つも伏線がはられた物語だった気がする。
それからしばらくして明大前のキッドアイラックホールに観に行った。それは小説や童話などに出てくる言葉が随所にちりばめられた作品だった……と思ったら、小説や童話に掲載された台詞で物語を作ると言う縛りを決めて作っていたみたい。その作品はみている分には退屈を覚えたが発想と実行した能力がすごい。
それから目白でどこか芸能事務所に書き下ろした作品。
そして駒場アゴラ劇場での『あゆみ』。
気づくと柴君の作品はけっこう見ていた。
制約というか、1つの観測点を持つとそこから柔軟性と流れを作るのが容易なのかもしれない。
その観測点を意識的に見つけられるのが柴君で、自然とそうなっているのが野木さんという印象。でもそれは僕の印象。
どちらにも無意識が潜んでるし、意識的なところもあるもの。
最近『フリー』なんて本が売れているみたいだけど、先にみんなが共有できるシステムを考えたら有名になるのではないだろうか。柴君はもしかしたら世界中で有名になるかもしれない。
2人ともでもピュアだよな現時点では。
ピュア度って売れれば売れるほど、自分以上に周囲が変化し、濁りだすと思う。
先日、仕事で60歳の健康なじいさんにあった。
彼は気功の達人なのだが、ピュアでハイテクなパソコンが使えない。
電磁波が強いのだ。彼はブログを更新しようとパソコン机に向かうと萎えるという。
2/9 こんにちは土地2『大塚公園』
同居人の友達が昨年、大勢して家に鍋をしにきた。その時、1人と連絡先を交換した。
公園でサッカーをしているので一緒にやりましょうという誘いだ。何度か来たが、なかなか行けず年をこして2010年2月になった。
実は「行けず」か「行かず」かどちらが本意かと言えば、「行かず」が大きかったような気がした。
2010年2月6日朝も「行かず」の方向が大きくなってきた。いかんせん寒いのだ。
荒川区から文京区大塚までの自転車距離はさほど遠くないので自転車を漕ぐ。
思えば最近、寒さに負けて電車ばかり使っている。
電車で思い出したが私の郷里には電車が走っていない。
最寄り駅から山を越えて45分車にのらなければらならない。
幼少時。「ほら電車だよ」と親にそそのかされ電車に向かって手を振った記憶がある。
ウルトラマンとか仮面ライダーとかヒーローにあこがれるふしはあったが、乗り物に対する関心が極めて薄い少年だったのにと思う。
ジャージにネパール系パーカーに髭モジャ、軍手にママチャリ。その姿はホームレスを彷彿とさせるらしい。
いつもは10人前後集まるメンバーもその日は集まりが悪くわずか5名。その人数でするミニゲームはきつい。息がはぁはぁときれる。年齢は少し上の30代前半の方々が多い。それにしても動けない自分。休憩の時はみなさんタバコを吸う。ここ10数年タバコに対する弾圧が激しすぎやしないだろうか。喘息が最近発症しないことをいいことに私も最近吸っている。これで死んだらそれこそ自業自得だ。
曾祖父は96歳で死ぬまでタバコを吸っていて健康だった。
そうそう私の6代前の弥太郎という東京に行って何やら活発な活動をして遺骨になってかえってきた先祖の命日は大正7年6月5日。曾祖父の省一じさまは平成7年6月5日に死んだ。そうそう母の誕生日は1月25日。私の誕生日も1月25日。
世の中、何かと意味を持たせたがる習性が私の中にあるようです。
サッカーチームの人はデザイナーと広告代理店とDNAの研究している人といろいろおった。大塚公園近くに住んでいるというのが接点のようです。
このサッカーチームは夜間部もあるそうで楽しみです。
2/3 こんにちは土地1 「こんにちは人生」
最初から場所の話ではないがまあいいか。
土地の力ってあるんだろうけど、人とコミュニケーションをしていると、それは二の次なんだと思う。
友人の誕生日が2月1日にあった。カラオケをしているうちに2月2日になった。
1月19日
前週会うことができなかった映像作家、三旅さんに会うためにゴールデン街「ソワレ」に再び行く。
そしたらト-スティーさん(お店のママ)とDJカッパのミニライブに出ることになった。タイトルは、
『トースティー新ユニット「エロ河童 & ザ・黄桜~ズ」』
なんというかカッパに対するト-スティーさんのあたたかさと、カッパの魅力をひしひしと感じながら何度か打合せをする。
僕はパーキーソン病の人と初めてあった。どういうものかイメージがなかった。
wikipediaによれば
「パーキンソン病は、脳内のドーパミン不足とアセチルコリンの相対的増加とを病態とし、錐体外路系徴候を示す疾患である。神経変性疾患の一つである。日本では難病(特定疾患)に指定されている。本疾患と二次性にパーキンソン病と似た症状を来たすものを総称してパーキンソン症候群と言い、本症はパーキンソン症候群を示す病気の一つである。」
まぁとにかくカッパは難病なのだ。
ト-スティーさんは三宿だか、どっかのクラブでノートパソコンを広げてDJしているカッパさんにほれたらしい。
僕はうまく人と話すことができずに感情を伝えることを怠る癖があるし、実際、うまく伝えることが下手な感じがあると多々言われる。
普通に敬語を使わずに相手を気遣ってフランクに話せるト-スティーさんに憧れを感じる。
舞台は四苦八苦するも「ひどすぎてひどい」というある種のほめ言葉をいただいて終わる。他の出演者のロベルトさんは南米でタンゴ歌手をしていて、現地のテレビ局にも出演、けっこうな有名人らしい。
SOMEONE'S GARDENの西村さんもカッパコスプレに身を包むとやたらにあっている。ロベルトさんの歌唱力は他を圧倒し、西村さんのピアニカも冴える。巨乳のカッパ女房役のキーボード役の方の名前を忘れてしまった。何と言ったのだろうか。
「ト-スティーじゃなきゃ、ああいう感じでうまくショーにならなかったよ多分」と西村さんが終演後言う。それはその通りでト-スティーさんの温かさが、ぐだぐだでありつつよい感じでグルーヴィーなショーに仕上げたのではないかと思う。
何はともあれ僕自身とても楽しかったのだ。
それから1週間程して現在だ。
なんとなくだが技術は後からついてくる。それは言葉は基本的に間違いをはらんでいるということだろう。
そしてこれもまた言葉だ。生きていくということはディスコミュニケーションの連続かつ反復で、さびしい人生に前を向いて楽しく生きていこうと思う。
ツイッタ-を始めました。
少し中毒性を感じだしたがうまくなじめていない。
@matsuritabi
で検索すると、それが僕です。出会いましょう。
1/16 インドへ16「終わり そしてこれから」
中々治らなかったダラダラ病。インド病とでも言おうか。別にインドに責任があるわけではないけれど、戻ってきてもしっくりこなかったまま正月へ突入し、少し経って回復の兆しが見えてきた。
そのきっかけは1月10日、上野鈴本演芸場に行ったからのように思う。落語研究会にいたにもかかわらず、編集長の方がずっと落語に詳しい。友人の結婚式で落語を披露することになった。落研の後輩に『初天神』を薦められ、初席期間中ならめでたい落語をやるのではと思い最終日に駆け込んだ。
小山治師匠がやってくれた。Youtubeで長瀬智也の『初天神』も鑑賞。
それとも夫婦の話で下ネタの話で面白いのがあったのでそれもいいなと思う。
11日インド土産を学生時代の相方に渡しに行ったらsomeone's gardenさんの事務所に連れてってもらった。
someone's gardenは書籍編集、映像制作、音楽もいろいろ作る西村さんと津留崎さんのユニットである。アートスペース兼事務所はとてもセンスのよさを感じる。入ると白く塗られた壁、壁に掛けられた牛の頭、マック三台、と青い拾い猫、天井に吊られた椅子。入口にsomeone's gardenが制作したり、関係者のチラシが置いてある。
目にとまったのが『犬式』というバンドのチラシ。犬式は解散直前のライブに幡野君と行って、とても衝撃を受けたバンドだ。犬式のPVも作ったらしい。西村さんは『TOKION』という雑誌のアートディレクターをしていたらしい。しゃべり方がアスペルガーチックだ。音楽レーベルを今度作るらしい。
突然「インドで聖人」というキーワードが出てくる。
あっもしかして佐々井秀嶺さんのことではと思うと、やっぱりそうで友人に佐々井さんのドキュメンタリーを作った方がいたらしい。佐々井さんは私が働く出版社でオファーをしようと思っていた要チェケラ人物だ。撮影された方の名は小林三旅さんとのこと。
それから『WE LOVE ARTISTS』(監修:サムワンズガーデン)という書籍を購入させてもらった。
これは世界中のアーティスとアーティストをはぐくむ場所アーティスト・イン・レジデンス(AIR)を、エリア別に紹介している。520もの場所と人とどうやってアポをとってコネを作って本にしたのだろうと感心する。世界どこでも売れるようバイリンガルに英語と日本語で表記。一冊購入して家へ持ち帰る。
12日22時、花園神社前交番に待ち合わせしてゴールデン街へ三旅さんがよく行く店へ連れてってもらう。幡野君も呼ぶ。三旅さん原稿か編集に追われ会えず次週に持ち越す。
時は遡り同日19時、青山ブックセンターにてCOYOTE No.40『谷川俊太郎、アラスカを行く』刊行イベントに参加する。トーテムポールの話が気にかかる。
谷川「トーテムポールってのは日本の仏像とかと違って土に還るからいいよね」
それはいいことだなと思う。 アニミズムはいろんな宗教、風俗の発端だもの。
隣村に100歳を超えて奥会津の民話を語るお婆さんがいた。遠野でも境港でもないのですが、どうやら自分の生まれた周辺は水や木やモノノケや精霊の類の話が多かったみたいです。同じ過疎化の村のクラスメートでも、好きなやつと関心のないやつがいたけれど、何故自分は好きになったのでしょうともの思いに耽るのでした。
時間は戻って12日22時。店には「河童」と呼ばれるほぼ全身麻痺のため左足の指を使うDJがおりました。彼は言葉は話せませんが、カップルに子供ができたことがわかると曲目を『こんにちは赤ちゃん』にしてくれるのです。素敵だ。
今年はより多くの人に会おう。刺激的な人に会おう。
さよならインド。
そしてさよなら今日の僕。
「インドへ」が終わりまして、今年はいろんな場所へ行こうと思うので「こんにちは土地」を不定期更新したいと思います。
1/4 山内に惚れた人々のために10 短編小説『村民失格』
思えば人を重んじるふりをして、人の顔色ばかり窺いながら生きてきました。それもそろそろやめにしようと思います。
そう思っていると村の火葬場で死体が出てしまいました。出たと言ってもいつも通り燃やされたわけでなく火葬場の所長が煙突から飛び降りたのです。この火葬場は私が生まれた28年前にできました。当時、東北の山奥の建物としては随分と都会的だと皆口をそろえました。
事件の日、私は村から60キロ離れた街のホテルにデリヘルの女と一緒におりました。その女はバツイチ、子持ちだそうです。そんな身の上話を聞くのが私は好きなのかもしれません。私は女と本当は一緒に身投げしてもらおうと思っていたのですが、とんだ邪魔が入ったのでした。
それが父の電話でした。父と所長は高校時代の同級生で、私自身も小さな頃から随分と世話になっておりました。こうなると私自身のことはさておき葬儀の手伝いに行かねばなりませぬ。人の距離の近い社会ですから。市街から車で2時間かけて村へ戻ると所長の家に人集りができておりました。私はいつも通り、周囲の人々に同調し泣きそうな顔で葬儀へと溶け込んだのです。私は偽善者なのでしょうか。私がうんうんと肯いていれば他者はどんどん自分の話をして、私への警戒心をとくのです。
その事件から一年経ちました。先月末も農協に勤める一歳上の先輩が煉炭自殺をしました。こんなにも緑に囲まれて美しい村だと言うのに何故なのでしょうか。血がきっと濃いのだと思います。しかし何故、血が濃いと奇形児・障害児が生まれるのでしょうか。不思議です。
時々、私は東京や仙台へ脱出します。苦しかった東京を離れて、何故私は東京へゆくのでしょうか。寂しいのだと思います。この寂しさをほんのひと時解消してくれるのが女であり音楽なのです。女と音楽なければ私はもうこの世にいないでしょう。
仕事とは言え二月に一度くる貧乏人への借金の回収は心が折れます。借りた人間が悪いと言えばそれまでなのでしょうが、借金取りの気持ちが少しわかるようになってきました。それは金を返して欲しいよりも取り立てるこわい役者にならなければとてもこの仕事が勤まらないからなのだと思います。私は役者失格です。
いい人などこの世にいるのでしょうか。わずか28年の短い人生経験の中でも、そうそういい人に出会うことはできません。それは皆がそれぞれ自己を肯定されたいという欲に駆られて生きているからだと思います。
さて今年も誰にも気づかれないほど薄い仮面をつけて仕事へでかけましょう。
1/4 山内に惚れた人々のために9 短編小説『女の尻』
1/1 雑記
あけましておめでとうございます。
2009年が終わり2010年が始まりました。
世界というものは相対的で、その人が死ぬまでその人の世界が続くのでしょう。結局、それでしかないのです。
2009年は熊野、静岡、インドと行ったことのない場所に行かせていただきました。
しかし働くというのも、時によりますが、楽しいものだと思います。人によっては仕事と趣味が別物という方も多いのでしょうが、自分の場合どちらも本気でなければ楽しくないというのが結論でございます。理由は一方で手を抜くともう一方でも手を抜いてしまうという何とも不器用なもんでございます。
2009年に入りできるだけ否定するのをやめてみました。するとそれなりに人生がうまく転がりだした気がいたします。
冷たい人間には冷たいなりの、暑苦しい人間には暑苦しいなりの良いところがあるのでしょう。彼ら彼女らを否定しないでいると自分では規定できない自分と自らという存在に対し、彼ら彼女らが少し寛容になって下さるのです。
過去に縛られるのが生物の規定ではございますが、今に存在していれば随分と楽に生きられることでしょう。
他の動物と比べ人間のメンタルは幾層にもなっているようにも感じますが、そんな大したものでもないのでしょう。自らを格好つけず素直に生きられるよう本年も精進したいと思います。
人は関係性の中でしか成長できないと友人は言っておりました。今年は更に多様な出来事(人を含めた)と出会いたいと思います。
この世の中のくそったれども(自ら含む)に平穏が訪れますように。
