【三砂慶明】

大学時代に知り合った友人に

三砂慶明という男がいる。

このコラムが掲載されている「歩行」を発行している人間でもある。

 

重要なのはその時間軸にある。

彼とは先に友人関係にあった。

「歩行」で文章を書かせてもらうことになったのは、その後のことだ。

 

男同士の出会いにロマンもクソもない。が、

僕は友人との出会いを忘れないというロマンに駆られたクソでもある。

 

だから、書く。

 

大学1年の夏。

夏休みに入る少し前。

五限の講義が終わった夕暮れ前。

僕は校内の売店付近で菓子パンを齧りながら、

 

「大学が思ってたより楽しくない。

空回りしている内にもう前期が終わってしまう。

女の子との出会いも皆無だった。

オナニーの数だけが増えた。

バイトもぜんぜん決まらない。

旅サークルとボクシングサークル、すぐに辞めちゃったな。

何に打ち込んでいいのか、さっぱり分からない。」

 

概ね否定的な気持ちでいた。

食い終わると、第一校舎方面に向かって歩き始めた。

すると、前方から、確か同じクラスだったはずの彼が近付いて来るのが見えた。

 

三砂慶明、その人である。

 

何を話したのかは、さっぱり憶えていない。

ただ、お互いに立ち止まり無駄に会話が弾んだ。

 

それ以降、連絡を取り合い遊んだりするようになったことを思えば、

あの瞬間こそが始まりだった。

 

誰にも相談できなかった鬱々とした気持ちが

少しだけ好転し始めた瞬間でもあった。

 

だから、憶えている。

彼は憶えていないはずだ。

いや、憶えていてほしくない。

ロマンは僕だけのものだ。

 

あの夏から、ちょうど10年。

 

僕は自分で立ち上げた劇団にいる限り、

主宰であり劇作家であり演出家であり俳優である。

クビはない。あり続けられる。無能であっても。

そこには永遠がある。

 

人はたった一人の読者がいれば作家になれる。

三砂慶明がいれば、僕は永遠に作家である。

クビはあるかもしれない。でも読んでくれるだろう。

僕は作家であり続けられる。

そこにも永遠がある。

 

僕は「いかに永遠を手に入れるか」をとても重要視して生きている。

彼は僕の永遠の一つを担っている。

これは彼へのプレッシャーではない。

「これからもよろしく」というアイサツであり、

「結婚おめでとう」というハナムケである。

 

事務所にて、結婚を報告するポストカードを握りしめながら。

        <2011年4月2日 20時55分 事務所>

【マクドナルドのフライドポテト】

マクドナルドのフライドポテトを美味しく食べる唯一の方法は、油で揚がったばかりのソレをかなりアツアツ状態のソレを口に放り込むことである。そして、次に取るべき行動も決まっている。咀嚼もままならない内に、次のソレを口に放り込むことだ。とにかく急がなければならない。咀嚼など後でかまわない。マクドナルドのフライドポテトは美味しい。美味しいが、その鮮度は生魚を越える鮮度で劣化の道をひた走る。1秒後、10秒後、1分後、それはメキメキと不味くなる。夏のセミよりも儚い。死に急ぐかのようでもあり、マリオがスターを取った瞬間を連想させる。あの有限な煌めきであり、刹那の集合体でもある。

そして、なんとなくアメリカっぽい。I LOVE フライドポテト。戦争は反対。

        <2010年8月31日 16時12分 自宅>

【娘(むすめ)】

2010年8月10日。17時24分。3118グラム。

僕の娘が誕生した。

 

僕自身が父親になった瞬間でもあった。

 

生まれてもうすぐ24時間が経とうとしている。

今のところ、顔が非常に僕に似ている。

第一子は異性の方の親に似ると言われている。

とても不安である。

僕に似た娘の人生を勝手に心配してしまう。

病院からの帰り道、夏の日差しが照りつける中、自転車をこいでいた。

蜃気楼の奥に成長した娘が見えた気がした。

その娘が結婚相手を連れており「会ってほしい人がいるの」と言われた瞬間をリアルに想像してしまった。そして、僕が父親として、どんな言葉をその男に投げかけようとしているのかも全部。娘が産まれてまだ24時間経っていないのに、もう予行演習が済んでしまった。僕のセリフは完ぺきに出来あがっている。

あーダメだ、仕事も手に付かない。また病院で娘の顔を見て来よう。 

 

        <2010年8月11日 17時23分 自宅>

【三村大作(みむらだいさく)】

大学の後輩に三村大作という男がいる。4つぐらい年下だけど、僕は彼からロックを学んだ。演劇をやっているのにロックを学んだ。間違ったのかもしれない。受けた影響が演劇に染み出してしまったから。演劇とロックは食い合わせが悪いから。でも、確実に彼と出会ってロックを意識するようになった節がある。フルタ丸の『世界鉄道』という公演の時、僕が彼から拡声器マイクを奪ってそれで叫ぶというシーンがあった。稽古でも散々繰り返して練習してきた。もちろん、奪うというのはストーリー上の意味合いであって、そんなものは奪われるように見えればいいのだ。実際は渡しているわけで。稽古ではそれを何度もやった。上手く行った。で、千秋楽の本番直前だった。「フルタさん、拡声器、本気で奪いに来て下さい。本気で来ないと僕から取れないと思いますよ」と言いやがった。仕掛けて来たのだ。しかも、もうすぐ幕が開くという直前に。本番、僕は力づくで大作から拡声器をぶん取った。その千秋楽には悪魔の方の神様が降りて来た。その辺のシーンから、舞台上はありない方向に無茶苦茶になった。今ならその時の全てを最高だと思える。僕の中から別の価値観を引き出した。社会に出てても彼のギラ付いた精神性は全く失われていないと僕は思っている。自慢の後輩の一人。 

     <2010年5月18日 0時28分 自宅>

【万年筆/原稿用紙(まんねんひつ/げんこうようし)】

分けても良かったんですが、限りなく同じ内容になりそうなので合わせ技で書かせて下さい。台本を書いたり原稿を書いたりする時、僕はパソコンを使ってます。このフルタDXもいつもパソコンのワードでしこしこやっております。圧倒的に便利です。パソコンっていうのは「文章を書き直す」という作業においては手書きのソレと比べると、競走馬とポニーぐらいの差があります。これは天地がひっくり返ろうとも認めざるをえません。

けど、僕は万年筆と原稿用紙を持っているんです。これまでに一度も原稿用紙に万年筆で書いた文章を「仕事の原稿」として提出したことはないのですが。きっといきなり原稿用紙で提出したら先方も迷惑だと思うし。ならば、何故に持っているのかと。それは、たった一言で説明が付く。

 

「憧れ」

 

学生の頃から憧れを抱いてきた椎名誠さんやリリーフランキーさんといった文筆家の人たちが原稿用紙に万年筆で文字を書き、それをFAXで出版社に送るというやり方をしていたから。僕はその様式美に猛烈な憧れを抱いて来た。リリーさんは書き直しも校正もしないという。万年筆のペン先から文字が生まれた瞬間から、それが完全原稿になっていくという。よく分らないが、手塚治虫みたいだ。それについて、リリーさんがこう言っていた。「書き直せる」とか「書き直そう」と思いながら書く文章は、その気持ちが読み手に伝わってしまう。ロックミュージシャンがステージ上で何度も歌い直さないように、俺は1発で完全な面白い原稿を書き切るようにしてる。そんな言葉だったような気がする。それを知った時、グサっと来た。だって僕は書き直しまくっていたから。パソコンで文章を書き直して完成させている。小学生の頃、書き初めで細い筆を使って線を立派にしていた記憶が蘇った。なんとなく恥ずかしくなった。今尚、憧れは憧れのままだ。

 

ちなみに持っている万年筆は何本かあるんですが、親父が「モンブラン」という栗のケーキみたいな名前のやつをくれたのでそれを使ってます。あと原稿用紙ですが、これは明治大学の文具屋に売っている「明治大学の原稿用紙」です。学生時代によくレポート提出の宿題で使っていたやつです。卒業してまでも、大学の名前入り原稿用紙を使っている。別に出身大学名をアピールしてるわけではなく、単純にその原稿用紙のデザインが格好いいと思っているから。50枚綴りの原稿用紙で、表紙の紫色のカンジがたまんないんです。

     <2010年5月9日 15時02分 馬事公苑のカフェ>