04

3月

2010

5Bang[ゴバン]がついにオープン!

歩行のロゴデザインを手がけてくださっている5Bang[ゴバン]の小田嶋 亮さんのWEB SITEがついにオープンいたしました! サイトは以下です

http://5bang.jp/

全てフラッシュで作成されている由 是非パソコンにてご覧くださいまし

ワークのなかには、なんと『歩行』のロゴデザインも紹介されています。

目次の下の四角い箱をクリックしてみてください。小田嶋さんの魅力的な仕事の数々が一望できます。

千三屋

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28

2月

2010

フルタジュンの結婚式

チリでおきた大地震が、22時間後津波になって横浜にやってきた。

その津波の影響で横浜線がだしぬけに停車し、その電車に自分が乗車している。電車の中に閉じ込められて、地球ってやっぱりつながってるんだな、と感動してしまった。感動はしたけれども、車掌席にいって戸をたたき、「結婚式があって、とてつもなく急いでいるのですが」といっても、電車は動かず、かといって窓から走って、スタンドバイミーするわけにもいかず、どうしようと思っていたら、廣瀬から電話があった。

「いま、どこにいるの?」

「……電車」

「とにかくホテルの場所がわかりにくいから、駅降りたら人に聞いて急いでくるんだよ」

了解、といっても電話は動かず、それからしばらくして、電車が走り出し、改札を目指して走り出した。

「不慮の事故とか、家族に不幸とかさ。万が一のことを考えて心配したんだから」

と廣瀬に肩をたたかれながら円卓の皆様に平謝りする。

フルタ氏に土下座をして謝ろうと思ったら、先に泥酔したSくんが土下座しはじめ、それをとめているうちになんだか、わけがわからなくなり、さようならをしてしまった。

フルタジュンの披露宴に参加して、驚いたことが二つある。

それはまず、フルタジュンのプロポーズの言葉で、

「僕の家来になってください」。

あんな美人が、え、こんな台詞で! ころりと落ちちゃっていいんですか!? 

フルタジュンのどてっぱらをグーで殴りたくなるぐらいに魅力的な笑顔で「はい」とご返答されたことと、奥様がはまられている『嵐』の音楽である。

妙に踊れるので、踊ろうと思ったら、廣瀬に、「今はやめといたほうがいいと思うよ」ととめられる。

あんまりよく知らないのだが、披露宴には席次表があり、坐る場所が決まっている。

まわりの人間を見渡すだけで、フルタが気をつかってくれたのがよくわかる。自分が話しやすい其式と福澤くんに囲まれ、まわりはフルタ丸のアイドルや歌姫たちが列席しており、あでやかといったらこの上ない。

披露宴は粛々とすすみ、突如として、フルタ丸の公演『I LOVE YOU』のように、ラジオのネタ番組がはじまる。

それは、新郎新婦の美点を第三位までをあげてください、というもの。

会場にマイクを向けられると、フルタ丸の随一の演技派の役者・星野くんが、すっと手をあげる。役者というのは一挙手一投足が絵になるということを改めて知る。

「新郎、フルタジュンさんのいいところはなんですか」とたずねられていわく、

第三位、

「よく食べること」

第二位、

「決断力の速さ。たとえば、公演で、フルタくんは手術中がどうしてもうまくいえませんでした。どうしても、チュジュツチュウみたいになってしまう。で、チュジュツチュウとしかいえないキャラにかえてしまった。あの決断力の素晴しさは未だに忘れません」

第一位、

「晴れ男。ここぞ、というときは必ず晴れる。天気予報が雨でも、フルタくんがくれば必ず晴れるんです。不思議と」

隣で廣瀬が、「ほんとそうなのよ」とつぶやく。

そういえば今日は午前中までは冷たい雨が延々降っていて、午後からは快晴。

しかし、そのひとの一番の美点が「晴れ男」というのは、まったく盲点であった。これは永い付き合いをしている、星野くんにしか答えられない言葉だった。あと二秒、星野くんが手をあげることが遅かったら、多分、僕は挙手していたに違いないので、手を挙げずに良かったと心から思う。

楽しい結婚式でした。

フルタジュンさま、真歩さま。

ご結婚おめでとうございます。

これからもよろしくお願い致します。

『歩行』 千三屋

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27

2月

2010

荒川NIGHT

祭旅氏のホームパーティーに参加。表札には、油性マジックで三人の名前が書いてあり、あいかわらずだなー、と思う。当然のごとくに呼び鈴はついていない。たしか、このあたりについていたと思ったのにと手探りで探すもみつからず、古いスタイルでドアをノックすると、ガラガラと引き戸があいて、「あ、あいてます」と「肉骨粉」のSさんとあう。

「肉骨粉」はSさんのつくる鞄のレーベルで、無骨なデザインと新鮮な素材感、色の組み合わせが魅力的。鞄だけでなく、自分の手と足でみつけてきた生地から財布や名刺入れもつくられている由。一点一点を手作りでつくられているので、要望を伝えればそれをデザインに反映させていただける。いつか、この頁でご紹介できたらと存じます。

祭旅の部屋に案内されると、俳優の青木さん、祭旅の落語研究会の後輩のスズケン、が既に麦酒をのんでいる。皆を誘って、ザ・町屋の食堂Kに行くも、見事に貸切パーティ中。椅子がひっくりかえっていて赤い顔をした中年男子が畳の上で盛り上がっている。町屋は十時を過ぎると、あいている店が限られる。珍しく、祭旅が指揮をとって、河岸をかえる。上着を脱いできたせいで、とにかく寒い。歩きなれた商店街の店がかわっていて、大好きな銭湯がなくなれば、廃業した肉屋の軒先のケージに飼われていた犬とかがいなくなっている。

線路をこえて、中華料理屋のNにいく。

通されたのは、奥の座敷で、満漢全席用の大きな回転テーブルつきの大広間を貸切でつかわせてもらう。青木さんとスズケンは、祭旅の芝居の『fractale』で共演した仲で、二人の話が雑談ではなく、掛け合い漫才みたいになって、笑いが止まらなくなる。面白い。

おかみさん一押しのメニュー、「よだれ鶏」を頼むも、不評。

辛い、骨がとりにくいなど、散々で、しかし、みんな箸がとまらない模様。メニューの由来は、よだれがでるほどうまくて辛い鶏料理の由。

スズケンは酒を飲めば飲むほど、陽気で明るく、キャバクラに行こうとする。祭旅が「こんばんは荒川」でも書いているが、スズケンは信用金庫に勤めており、一年で数百万近くをキャバクラにつぎこんでいる。同伴をすれば、ギャラがもらえるシステムのキャバクラで、「来なくていいです」といわれる猛者。

祭旅が、「キャバ女の口説き方 <失敗篇>」を出せるんじゃないのか、というと、スズケンは膝を打って、自費出版でやります! と絶叫する。200万ぐらいでいいですか、と祭旅につめよる姿勢は学ばなければならない。

スズケンの信用金庫の話は、聞けば聞くほど面白くて、まさに『太郎』だな、と思う。

『太郎』は細野不二彦の漫画で、信用金庫とプロボクサーの二束のわらじをはく、影のさした男が主人公。暗くて、狂信的で、あまり爽やかとはいえないが、しかし面白いのである。

スズケンは完全に飲みすぎてグロッキーになり、自身で買って来たボードゲーム「人生ゲーム」にさわることなく朝になり、なぜか水道の温かいほうの水を飲んでいる。

六本木からかけつけてくれたK先生と天才画家・幡野が終電で帰ってきて、朝まで「人生ゲーム」で盛り上がる。一階のキッチンで、夜明けのラーメンをつくっていると、Sさんがおりてきて、業務用のミシンなどをみせてもらう。まさにアトリエで、何でも解体されてしまうのか、何故かベッドのスプリングが三つ、棚の上に積んである。

自分の手で物を作る人の話を聞くのは、『室内』以来で、久々に勉強をした。

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24

2月

2010

『室内』の新年会

元・工作社の面々でやる新年会がありました。僕が工作社に入社したのが、6年前だから月日の経つのは早い。当然のように、前・社主の話をする。毎年恒例の集まりだけれど、年が年だからいつまで続くのかはわからない。

4時間があっという間に過ぎる。工作社の時間は、会社を解散してから止まったままで、みんなが顔をあわせると動き出す、壊れた時計のように、毎日顔をあわせていたときの話をする。

先輩が釣ってきてくださった真イカの荒漬を食べる。イカの骨が鳥の軟骨みたいにコリコリしていて、歯ごたえが楽しい。濃厚なワタを口に運びながら、みんなで持ち寄ったワインを次々にあけていく。幸福な時間というのは、目の前が輝いてみえる。

人間は、ひとつの居場所ではもたない生物ではないか、とときどき思う。孤独というのは、孤毒であり、人間には家族や学校、職場をふくめて、いくつかの居場所が必要な不安定な生物ではないのだろうか。いくつかの場所を移動していないと、流れる水のように人間は腐食してしまう。

終電の手すりにつかまりながら、漠然とそういうことを考えていました。

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22

2月

2010

映画『レスラー』ダーレン・アロノフスキー監督

かつては150万人の観客をわかせた伝説のプロレスラー、ランディの20年後の物語。これだけでも十分哀愁が漂っているのに、なんと主演がミッキー・ローク。観ないわけにはいかない。

恋人にふられ、やけになってはめを外し、家族にも見放され、頼みの身体は心臓のバイパス手術でつかいものにならない。

いい大人が自暴自棄になって、すねて、暴れて、自分のまわりには誰もいなくなって、気がつくと、もう引退したはずのリングに足がむかっていた。

客席から眺めるリングはまぶしくて、ただ一人の観客として見上げるリングは何故かあたたかい。ランディは一本電話をかけて、復帰を決意した。

こんなにみじめなヒーロー、見たことない。

 

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21

2月

2010

タイトルデザイン一新

5Bangの小田嶋さんから『歩行』の新しいロゴを頂戴する。いままでの、ほんのり温かい感じも捨て難いけれども、こういうハードなデザインにもしびれます。ラウド・ロック大好き! って関係ねえか! 

いつも素晴しいロゴデザインをありがとうございます!

千三屋

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20

2月

2010

溶岩焼き鳥・万喜

新年の挨拶もかねてsoda-designの柴田さん、タキさんと中野のブロードウェイ脇にある溶岩焼き鳥の「万喜」にいく。デザインした本が近日発売されることと、TDCに入選されたことを伺い、お祝いの乾杯をし、新連載とカットの話をする。カットは、ホームページの表紙の各位連載用にも書いてもらえることになり、大はしゃぎ。柴田さんの新連載は、猛烈楽しみな内容ですので、是非ご期待ください。打倒NHK!? です。いつものことながら、柴田さんのゲームの話には圧倒される。原点回帰予定のエレクトジャンキーもお楽しみに!

「万喜」はアミ焼きレバーが絶品で、実はこれだけでいいのではないかと思えるぐらいに安くて、うまい。一見、つくねのような形をしているが、歯をいれただけで舌の上でとろけて消えてしまう。レバーがおいしい焼き鳥屋は高円寺の大将しかり、実にいい。佐々木氏はなんとあまりのうまさに焼き鳥をコンプリートした由。

メニューが独特で、スターバックスの豆をつかったなんとか珈琲とか、V6(ブイシックス)という串の盛り合わせなのに何故か三本セットみたいな、腑に落ちない感じは中々捨て難い。

「万喜」は、角界のバッカス・琴光喜の高校時代の相撲部の後輩がだしたお店で、店内に琴光喜の写真がかざってある。

よくくるんですか、と伺うと、なんと、まあ、生ビールを15杯飲んだあと、生グレープフルーツサワーを64杯飲んで帰った由。飲み放題なんですか、ときくと、いや、普通に頂戴いたしました、とのこと。さすが、大関。懐具合も豪傑。

帰り際、柴田さんの履いている靴底が防弾チョッキの生地だと伺う。酔っ払って興奮していると、キャッチのおじさまに、「トカレフは貫通するからな」とアドバイスをされる。

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18

2月

2010

・・・・・・。

映画『カムイ外伝』=△

1流の監督+1流の役者+1流のスタッフ=3流の映画に。

原作もいいし、アクションもいいし、クドカンが脚本を書いて、これか。こんな最後でいいのか?

続編をつくる意図がみえみえだが、大島渚を意識しすぎたのか? 退屈はしないけれど、ただそれだけ。

映画『ディア・ドクター』=◎

蛇苺からの西川監督の黄金パターン、つきつけられた嘘とお笑い芸人(落語家だけれども)を効果的につかった役者とRアンドBの音楽にのせておくられる。ラストシーンがあたたかい。

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17

2月

2010

『寺島町奇譚(全)』滝田ゆう著・ちくま文庫

寺島町というのは、現在の東向島で、旧・玉の井。私娼街である。

吉原のように公娼の集められていた「遊郭」ではなく、私娼の集まっていた私娼窟で、その店の名を、銘酒屋(めいしゅや)という。銘酒を売るという看板をあげ、飲み屋を装いながら、街全体で、私娼を抱えて、売った。

滝田ゆうが『寺島町奇譚(全)』で描いたのは、戦前の玉の井の姿である。

玉の井というと、永井荷風の『濹東綺譚』がもっとも著名であるということに異論はないけれど、滝田ゆうとは視線が違う。滝田は、自分が生まれ育ち、空襲で焼き払われるまでの、玉の井の日常を、街を見上げる少年の目線と、類まれな記憶力で、紙の上に再現した。「ぬけられます」、「近道」、「安全道路」など、そこかしこの隘路の入り口にはりだされた看板やハート型にくりぬかれ娼婦の顔を見られるようにつくられた娼家の窓は、まさしく蜘蛛の巣を想起させるし、こうした人間の欲望がはきためて集められた奇観はもう再現できない。

銘酒屋で下働きをし、休憩の合間に、ほかほかの玄米パンを食べるのが何よりの楽しみだった下女のおふみが、おかみさんに「なにもお金の心配なんてすることないんだよ。おまえさえっそのきになればすぐにもぜいたくできるんだよ(原文ママ)」と誘惑されて娼妓になるまでを描いた「げんまいパンのホヤホヤ」。借金をしてまで玉の井通いを続ける男が、盲腸で入院した娼妓を見舞いに行く途中に借金取りにつかまってしまう過程を、塀の向こう側の出来事として音で描いた「玉の井界隈0番地」。あらしがきて町全体が、あたふたする姿を窓から「うへっすげっ」とあらしを楽しむ子供の目線で描いた「花あらしの頃」など、一日のはじまりが

 

「お父さんオハヨウゴザイマスお母さんオハヨウゴザイマスお婆ちゃんオハヨウゴザイマスお姉ちゃんオハヨウゴザイマス」

 

と正座し、頭をさげてあいさつすることからはじまる戦前の暮しと、玉の井の哀愁を画面の内外に活写している。

滝田ゆうの漫画の特徴のひとつに、ふきだしの中に描かれた、絵がある。それはたとえば、吉行淳之介が本書の解説に、

 

「石堂淑朗は、女の子がプラットホームにスーツケースを置いて悄然としている絵の吹出しに、蟹が描いてあるのをみて、

「この女は、いま都落ちをするストリッパーで、彼女は横這い状態にあるんだ」

と、ほかの人に説明していた、という。作者のつもりでは、畳の上に蟹を置くと、ガサゴソと横這いして、その音がわびしい感じである、といったところだそうだが。」

 

と書いているように、読者が勝手に考えて、読み間違う遊びに満ちてもいる。

滝田ゆうの線の温かさは、他の漫画の線とは一線を画しており、漫画家というよりは、ひとつのジャンルといっても過言ではない。長谷川町子と並んで、『のらくろ』の田河水泡の弟子のひとりで、さりげなく頁の端々に『のらくろ』を読んで笑うシーンがある。師匠と同じく、落語に深い造詣があり、落語を描いた作品ものこした。

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14

2月

2010

2×14=28

まったく意味のない計算式だけれども、まあいいか。

ということで、今日から、『歩行』の新規読者獲得のため、ツイッターにあたくしが勝手に選んだステイショナリー情報をつぶやくことにしました。ふふふ。お楽しみに。第一回は本日先行発売された、あれ、です。

 

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12

2月

2010

『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』湯浅誠著・岩波新書

日本国民には、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が、憲法25条で定められている。これは、単なるお題目ではなくて、これに基づいてつくられた生活保護法があり、世帯ごとに10円単位で最低生活費が決められている。つまり、この金額を下回ったら、国が責任を持ちますよ、という金額が。

この最低生活費を具体的に知っている人がどれだけいるか?

この「見えにくさ」こそが、日本の貧困問題の位置づけを反映している、と著者はいう。

貧困問題は、自己責任論で片付けられやすい。

たとえば、「フリーター」。

 

1 フリーターにはちゃんとした正社員になるという選択肢があった

2 フリーターはあえてそれを選択しなかった

3 本人が弱くてだらしなくて、きちんとした将来設計ができていない

4 つまり、それは本人の責任である

 

この論理は、「ネットカフェ難民」にも当然適用できる、

 

1 ネットカフェで暮す前に、他にアパートを維持する選択肢があったはずだ

2 なのに、それを選択しなかった

3 本人が弱くてだらしなくて、安易にネットカフェに流れた

4 それは本人の責任である

 

というように、である。

この一部の隙もないように見える自己責任論には、決定的な穴がある。それは、「他の選択肢を選べた」という前提である。

格差と貧困の本場、で貧困問題について言及する、デヴィッド・K・シプラーは、貧困状態で生きていくことを、

 

「ヘルメットもパッドも着けず、練習もせず、経験もないまま、体重100ポンド(約45キロ)のひ弱なアメフト選手たちの戦列の後方で、クオーターバックをやろうとするようなものである」

 

という。

無防備さと、逃げ回るしかない選択肢のなさは、まさに貧困のありようを語っている。

湯浅誠の象徴的な概念のひとつに「溜め」がある。溜池の「溜め」で、外界からの衝撃を吸収してくれる緩衝材の役割のことをいう。たとえば、お金や、人間関係、精神的な余裕である。貧困とは、この「溜め」を失った、または奪われた状態のことである。職業や雇用条件を選んでいる暇はない。選択肢などないのだ。

社会的には、三層の、雇用、社会保険、公的扶助のセーフティネットがある。これが適用されるのは、基本的には貧困とはかかわりのないポジションにいる人々ばかりなのだけれど、このセーフティネットから排除され、家族からも排除されてしまうと、最後の砦である自信や自尊心をうしなうことになる。

この貧困状態に至る背景には、「五重の排除」があるという。

 

1 教育課程からの排除(この背後には親世代の貧困がある)

2 企業福祉(雇用)からの排除

3 家族福祉(親、兄弟、子供など)からの排除

4 公的福祉(追い返す技法が洗練されてしまった生活保護行政)からの排除

5 自分自身からの排除

 

第1から4までの排除を受け、しかもそれが自己責任論によって、「あなたのせい」で片付けられ、さらに自分自身がそれを内面化し、「自分のせい」と捉えてしまうと、そこには「死ねないから生きているにすぎない」という暗澹たる虚無しかない。

 

ここで捉え方をかえてみよう。

まず、貧困とは自己責任ではない、と。

「効率的なもの」が勝利する社会は、必ずしも自由な競争を実現してはいない。というのも、その効率とは少なからぬ場合、親の世代の資本投下によって生み出されているからだ。多くの資本投下をされたものが、望ましい効率性を見にまとい、市場で生き残り、そこで蓄積された富が次の効率性を産み、その結果、生まれたときからスタートラインが違うという「機会不平等」が存在し、それに目をつぶったままの自己責任論が跋扈する。

セーフティネットの崩壊による、うっかり足を滑らせたら、どこにも引っかかることなく、最後まで滑り落ちてしまう「すべり台社会」化。生活保障なき、自立支援がそれに追い討ちをかけ、社会全体の「底辺に向かう競争」が繰り広げられている。

貧困は社会を脆弱にするだけではない。貧困は戦争に対する免疫力を低下させる。アメリカでは、軍隊が特に、貧困層の若者をターゲットに勧誘を強化している。まともに食べていけない閉塞した状況に追い込み、他の選択肢を奪ってしまえば、若者は志願して入隊する。食べるために。

こうした状況は日本でもはじまっており、つい数日前の朝日新聞で、自衛隊があふれている、との記事が掲載されていた。

当然ながら、人は野宿にならないようにあがく。それでもどうにもならなかったとき、つまり自殺しなかったとき、人は路上にでる。

 

「捨てられた物を食べたとき、何かを失ったと感じた」(朝日新聞09・6・27)。

 

いきなり、隣人愛に芽生える人は危険物に違いないのだと思うのだけれど、僕には、この言葉が他人事のようには聞こえない。

寄付をするつもりもないし、見ず知らずの他人を助けるつもりは毛頭ないが、少なくとも、身近な人が困っているときに手を差し伸べる余裕はある、と思う。

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11

2月

2010

『ホームレス中学生』田村裕著・ワニブックス

いわずと知れた、お笑い芸人「麒麟」の田村裕のベストセラー。

映画公告の「家族解散」のイメージが強くて、ファンシーな家族が暴走するノン・フィクションかと思いきや、地味に重い。

母がまず、癌で倒れて亡くなり、父もまた癌になる。大手企業に勤めていた父は、リストラされ、癌からは立ち直るも、人生はたてなおせず、親戚縁者に金をかりてまわり、気がつけば、田村家は、つまはじきものに。

家財を差し押さえられて、一家離散の危機になっても、当然、手をさしのべてくれる血縁者はおらず、兄、姉、田村、それぞれが野宿というタフな生活環境に、いきなり放り出される。

奇跡的に彼らが助かったのは、困っている人を見て見ぬふりをしない、いまどき珍しい近所のおっさん、おばさん達の温かい力だった。

生活保護の手続きをとり、彼ら三人が、まがりなりにも、家をかりて生活できるようになるまで、陰に陽に見守り続けた。とはいうものの、生活は楽ではない。

1日300円の食生活はなみではなく、

 

「一口に味が無くなると言っても、簡単なものではない。」

 

空腹をまぎらわせるために、一口十分以上、一膳二時間ペースで咀嚼するのあたりまえで、その境地の果てにたどりついた、味がなくなったあとにもう一度味がかえってくるという、「味の向こう側」には、笑いをとおりこして、感動すらおぼえる。

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10

2月

2010

「汚辱に塗れた人々の生」『フーコー・コレクション 6 生政治・統治』ミシェル・フーコー著・ちくま学芸文庫

「汚辱に塗れた人々の生」は、静かな哲学者、ジル・ドゥルーズが『フーコー』(河出文庫)で何度も言及し、珍しく「傑作」と褒め称えたエッセイのひとつ。

フーコーは『狂気の歴史』以来、一般施療院とバスチーユ監獄に残された収監古文書を発掘し続けていた。それはたとえば、

 

「マチュラン・ミラン、一七〇七年八月三十一日シャラントン施療院収監―<絶えず家族から身を隠し、林野で世に埋もれた生活を送り、夥しく訴訟を起こし、高利で金を貸しつけ資産を遣い果たし、その哀れな心を見知らぬ街路に彷徨わせつつ、より大なる事業を行い得ると自らに信じ続けるところ、この者の狂気を認む>」。

 

というものであり、数行、あるいは数頁の、一掴みの言葉に要約された数知れない不幸や冒険である。

それがたとえ、ほんのささいな逸脱であっても、告発されたものはすでに、たちまち恐るべき者と化す。一度でもこうした「政治的鎖」にからみとられれば、そこから逃れる術はないのだ。後は、ただ沈黙があるのみ。

ただし、この圧縮されたテクストのなかには、フーコーに「一瞬の閃光」を与えるような、エネルギーがある。権力と衝突し、それと格闘し、またはその罠から逃れようとし、捕まった、一瞬の緊迫した生の記録。

「権力と最も卑小な実存との間を行き交った短い、軋む音のような言葉たち」。ここにこそ、卑小な実存にとっての記念碑がある、という。

また、文学は他のいかなる形式の言語活動よりも「汚辱」のディスクールであるといい、

 

「もっとも語り難きもの―もっとも悪しきもの、もっとも秘匿されたもの、もっとも呵責なきもの、もっとも恥ずべきものを語るのが文学なのである。」

 

という、特異な位置から語られる文学論が、権力の構造を貫通している。

何よりもこの一篇は、世に知られることなく埋没した人々のための、フーコーの詩であろう。

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09

2月

2010

『語るに足る、ささやかな人生』駒沢敏器著・小学館文庫

ジェームズ・ディーンが、ロルカの詩集に書きとめた走り書きに、

 

「ぼくの町は工業が育たない。

 ぼくの町は小さく、その閉鎖性を自ら愛している。

 ぼくの町は危険な偏狭さを目標にしている。

 ぼくの町は盲目的崇拝という点では偉大だ。

 ぼくの町は神とその使徒を信じている。

 ぼくの町はカトリックとユダヤ人を嫌う。

 ぼくの町は無邪気で自分勝手な泥棒だ。

 ぼくの町は仕事熱心で、新聞を読む。

 ぼくの町は優しく、ぼくは裸で生まれた。

 ぼくの町はぼくではない。ぼくはここにいる。」(『James Dean in his own words』Mick st Michael)

 

がある。

大好きな詩のひとつで、高校生のときに読んで、頭がスパークし、間違えて俳優になろうとした。人前でまともに話せない僕にとって、それは致命的な勘違いだったわけだけれど、人間は間違った方向に間違えないということを人生はいつも遠まわしに教えてくれる。

ジェームズ・ディーンは、インディアナの小さな町、フェアマウントに育った。つまり、スモール・タウンに、である。

スモール・タウンというのは、そこに住んでいる人以外は誰も知らないような、ごく小さな町のことである。そうした小ささを憎悪をして出て行く人もいれば、愛する人もいる。

人口は多くても一万人未満、町の大きさはメイン・ストリートを中心にせいぜい縦横に数ブロックある程度。車がなくても用は足りて、鍵をかける習慣もないぐらい、町の人はみんな友達である。つまり、 親密さと閉鎖性という言葉が表裏一体になった、狭い町だ。田舎育ちの僕にも、そうした気分はよくわかる。誰にでも挨拶はするし、される。名乗らなくても、どこそこの何々ちゃんね、ということを皆が知っている、人間と人間の距離が近い町。

駒沢敏器は、このスモール・タウンだけを経由して、全米を横断した。都会にはいっさい目もくれず。

それは、スモール・タウンが、「古き佳きアメリカ」を表象した「アメリカの素顔」であるからだ。

 

「アメリカのスモールタウンがいかにもアメリカ的である理由、アメリカの本質がそのままスモールタウンという場所に表れている理由は、皆が共同して「ここに住む意味」をつくりあげていくとき、そこに共通したアメリカ的価値が無意識に投影されるからだろう。町の歩道に倒れている人を助け起こそうとするときの咄嗟の良心も、皆がパンケーキを焼いて持ち寄ってくるときに抱いている共通の思いも、そこにはいささかの違いもない」

 

スモールタウンの住人、一人一人を前に、ノートを広げて、丁寧に言葉を拾っていく。

やや太り気味の作家志望の中学生のキャシーは、

 

「都会における情報というのはすべてが断片で、全体としての像を結ばないでしょ。刺激の量や種類が多いだけで、しかも偏りがあります。その刺激にただ身を任せるのなら都会の方がいいでしょうが、物を書く身としては、その逆の方がいいんです。静かで集中できるということではなく、このような小さな町では、ひとりひとりの人生の全体というものが見えるんです。情報に振り回されていない分だけ、この町の人の喋る言葉には、その人自身の人生や、静かだけれど確かにその人以外ではありえないような重みが乗っているんです。」

 

といって著者を驚かせれば、都会出身者で子育ての場所として、郊外ではなく、わざわざ都会から離れたスモールタウンを選んだラスティは、

 

「郊外というのは、都市生活を外部に広げただけのものなんだ。そういう意味では都会と変わらない。一見平和そうに見えて、住人は都会人だから同じ質の犯罪が発生するし、コミュニティにしたって、同じ通りに住む人たちの顔しか知らない。アパートのワンフロアがそのまま一戸建ての並ぶ路に移っただけさ」

 

と分析する。性の犯罪、暴力、ドラッグ問題、差別など、身近に見聞するメディアから発信される情報と隔絶された世界が、そこにはある。 とはいえ、当然、スモールタウンは「善人の集まり」のような場所ではない。不便さや寂しさに負けそうになる毎日を自分の努力で支えているに過ぎないのだ。

スモールタウンは、実際、アメリカの本流から外れている。それは幹線という意味からも、経済という意味からも、現代の大多数のアメリカ人の関心の外側にあるという意味からも、である。

建物は、古く寂れているし、時間は50年前から止まったまま動こうとしない。廃れた店には穴ができて、そのなかに影が入り込んでいく。町に一軒の映画館は、封鎖されたままだし、狭い町が嫌で家出をしようにも、隣町までのあまりの遠さにやる気がうせ、たどり着いたとしても、そこはやはり、同じように小さな町なのだ。 綺麗な家が多いけれど、そこももうじき影になる。

かつて、一日9000台の車の往来があり、ボビー・トゥループが歌い、スタインベックが「母なる道」とよんだ、アメリカのマザー・ロード、「ルート66」も例外ではない。

1977年、あっけなく、アリゾナの小さな町ごと、いともたやすくバイパスされて以来、アリゾナの広大な砂漠のなかに置き去りにされた。発展から取り残された町は小さく萎んでいく運命にある。

ただし、ネガティブな側面だけではない。

そこには、都会に住む多くのアメリカ人が失ってしまった伝統的な家庭料理や、テレビによって、失われた家族の時間など、その小ささゆえに、一人一人に明確な役割があり、町が住人を必要とし、住人が町を必要とする、幸福な関係が結ばれている。キャシーのようなおしゃまな中学生だけでなく、夜遊びというと、スパゲティソースで大人の車にいたずら描きをしたり、トイレットペーパーで誰かの家をぐるぐる巻きにしたり、と、

 

「家に帰ってベッドにもぐりこんでから、自分のいたずらを思い出して、枕に顔をうずめて笑いをこらえるのが最高!」

 

みたいな少女たちがいる。 町一番の喫茶店に入ると、  

 

「ちょっとだけ使ったナプキンと新しいナプキンがありますが、どちらがいいですか」

 

などと、まことしやかにジョークをとばしてくるマスターがいる。 かつては栄華をほこった幽霊屋敷みたいなホテルの盲目のおばあさんは、

 

「死ににくる人には特徴があるのよ」

 

といって、退屈な夜をどきどきさせるような魅力的な夜にかえてくれる。スピード違反で捕まったはずなのに、気がつくと、お前はラッキーな奴だとばかりに肩をたたかれて、本物のロデオはみたくないか? とマップを取り出して、次の町を教えてくれる。

Everybody knows everybody

都会では味わうことのできないような、スモールタウンならではの事件と出会いを楽しむことのできる、レイモンド・カーヴァーみたいな、静かな音楽のように奏でられた旅の記録。

 

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06

2月

2010

『なにもかも小林秀雄に教わった』木田元著・文春新書

絶望とは何か、ずっと考えてきた。絶望は辞書がいう「希望を失うこと。全く期待できなくなること。」ではない。 ノートに「絶望」と書いたところで、それで絶望することにはならないし、絶望を絶望という言葉で表現することもできないが、絶望を感じている。では絶望とは何なのか?

 

「農業の勉強はしたくない、する気がない。と言いながら、それじゃあなにがしたいのだ、なにができるのだと訊かれても答えられない。なんでもできそうに気持ちが昂揚するかと思うと、次の瞬間には自分がこれまでなに一つまとまったことはしたことがないのに気づいて、ガクンと落ちこむ。毎日がその繰りかえしだった。」

 

こうした苦悩を絶望といわず、何という。

この文章は敗戦後まもなく、哲学者の木田元が、安否不明の父親にかわって、若くして一家の生計を養わなくてはならなくなって、闇商売で工面した金をつぎ込み、人生の中休みとして、漠然と農林専門学校に入ったころの回想である。

キルケゴールにいわせると、人間はみな絶望している。というより、絶望しうることは人間の特権なのである。たとえば「不安」ですら、キルケゴールによると、絶望者が自分の絶望を意識していない、零度の状態、ということになる。

絶望という状態を文学に定着させた作家にドストエフスキーがいる。『罪と罰』のラスコーリニコフ、『悪霊』のスタブローギン、『カラマーゾフの兄弟』のドミートリ、『白痴』のラゴージンなど、彼の描く登場人物は、みな絶望している。つまり、すぐれた能力をもっているにもかかわらず、帝政末期のロシアでは、その力を発揮する場所が得られず、鬱屈した日々をおくり、その力は時として、あらぬ方向に噴出するのだ。ラスコーリニコフの斧や、12歳の少女を陵辱して自殺に追い込んだ世界文学史においても他に類をみない精神の極北をさまよった、永遠のアンチ・ヒーロー、ニコライ・スタブローギンがそれである。

木田は、自分の鬱屈した日々の絶望と重ねあわせるようにして、ドストエフスキーや、キルケゴールに耽溺し、沈潜した。この二人に、接点はないが、同時代を、世界の辺境で生きた。この絶望の文学を、木田元の目の前に、鮮やかに展開してみせたのが、誰であろう、小林秀雄である。

小林秀雄は批評を、一個の作品として昇華させた、いうなれば作家。たとえば、かの有名な「ランボオ論」の書き出しは、

 

「この孛星(はいせい)が、不可思議な人間厭嫌の光芒を放ってフランス文学の大空を掠めたのは、一八七〇年より七三年まで(中略)、自●らその美神を絞殺するに至るまで、僅かに三年の期間である。」

 

であるし、モーツァルトの交響曲(第三九、四〇、四一)を聞けば、

 

「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる」

 

と謳う。

思春期に読む、小林秀雄は圧倒的である。木田元は、小林秀雄に導かれるまま、その後、三三年に渡って、取り組むことになるハイデガーの『存在と時間』に出会うことになる。 ハイデガーと小林秀雄はニーチェという水脈でつながっている。

ハイデガーは、 1927年に『存在と時間』を書いて、哲学界に不動の地歩をのこした。だが、何よりも前に、ハイデガーはナチスに加担した哲学者として名前を歴史に刻まれている。

ユダヤ系の恩師、フッサールが苦境に立たされていたのを坐視したり、あまつ、反ナチス的信条をもつ友人知人を密告したりと、性格がいいとはとてもじゃないが言えない。日本には言行一致の儒学の伝統みたいなものがあるので、偉大な思想家には、高潔な人柄が期待される。その点、ハイデガーは失格だ。しかし、講義録をあらためて読み、ハイデガーの著作の前に坐りなおした木田は、こういう。

 

「たしかに性格は悪い、だが、その思想はやはり凄い。それで悪いか、と。だいたい、いつもニコニコしていて周りの誰からも愛され尊敬されるような人間が、世界をひっくりかえすような思想を形成するなんて、そっちの方がありえない」

 

と。

ハイデガーはよく、「存在(ザイン)は存在者(ザイエンデス)ではない」という。これは、存在する、ということは、存在するものに帰属する性質ではなく、人間(現存在)が設定する視点のようなものだ、ということで、つまり、人間が「存在」という視点を設定することで、そこから見えるものが皆一様に「存在者」として見えてくる、ということ。

一般に動物は、多少の幅はあるにせよ、現在だけに生きている。が、人間のように、神経系の分化がすすみ、ある域をこえると、現在、という世界にズレが生じ、過去や未来と呼ばれる次元が開かれ、いわゆる時間化がはじまる。

これを、リルケは、『ドゥイノの悲歌』(第八の悲歌)で、「開かれた場(ダス・オッフェネ)」といった。ハイデガーはそこから始めて、

 

「動物は世界のうちにいます。だが、われわれは、われわれの意識の果たした稀有の転換と高まりによって、世界の前に立っているのです」

 

という。

動物や植物は、世界の内側にはめこまれて、「開かれた場」にはめこまれているが、人間のように意識の度が高まり、世界の前に立ってしまうと、世界から閉め出され、世界が不透明になってくる。つまり、おのれを見失う危険に、さらされている、というのである。

後期のハイデガーは、こうした「存在」という視点は、「言葉」の内部で生起する、と考える。言葉というのは、ものの名前ではなく、また人間が、観念や感情を表現するためにあるのでもない。ここでいう、言葉とは、人間が使う道具ではなく、「見られるもの、感じられるもの、物そのもの、存在そのもののうちで生起する分節の働き」なのだ。

ここまで精緻に、かつ平明な言葉で語られたハイデガーの思想を、僕は知らない。木田元には、他に、浩瀚なハイデガーの研究書が多々あり、そのいずれも面白い。おすすめです。

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